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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

トビリシ建築散歩 - Tbilisi Architecture Walk in Georgia -

小高い場所から見下ろすライクパーク。トビリシのシンボル平和の橋(Bridge of Peace)の存在感が際立つ。ジョージア内では過去と未来が交錯する不思議な建築光景を各地で見る事が出来る。ライクパーク近く、印象的なガラス張りの公共サービスホール(Public Service Hall)。花びらのような11 枚の屋根が設置されているが個人的には未来のクラゲみたいだなぁと思った。政府庁舎とカフェが入っているので、一度くらい利用してみて...

2023
16

『ソ連の乗り物』上梓します

この度東京キララ社より『ソ連の乗り物』を上梓します。概要1991年、巨大な社会主義国家・ソビエト連邦が崩壊。それから30年以上の年月が経過するが、その遺産の多くは廃れつつもかつての場所に鎮座し続けている。その退廃的な魅力をカメラに収め続ける写真家・星野藍による「旧共産遺産シリーズ」の第1弾となる『ソ連の乗り物』。車、鉄道、飛行機、船舶、ロープウェイ…など、西側諸国とは趣の異なる魅力的な風景を113点収録。今...

2023
15

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 - Denkmal für die ermordeten Juden Europas -

ポーランドからバスでドイツへ入国した翌日。兼ねてから気になっていた『虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑』へ行ってみた。(ホロコースト記念碑とも呼ばれる)無機質なグリッド状に並ぶ石碑に圧倒される。ベルリンのブランデンブルク門の南に開設されたホロコーストで殺されたユダヤ人犠牲者の為の記念碑である。様々な高さのブロックが2711基も連なっている。入り口に近いブロックは低いもので、中心部に進んでいく...

2023
26

『廃墟マニアックス! 廃界本』寄稿しました

この度『廃墟マニアックス! 廃界本』に寄稿しました。●定価:2,200円(本体2,000円+税)●体裁:A5判/総192頁/オールカラー●発売:2023(令和5)年4月28日(金)※Amazon.co.jpは絶賛予約受付中、一般書店は28日(金)全国一斉発売●編:中田薫(『廃墟本』シリーズ著者)●発行・発売:株式会社大洋図書アマゾンでの予約はこちらから。〝廃墟的世界〟を「廃界」と呼ぶ廃なる世界に取り憑かれた廃界の旅人13人の饗宴!!廃界の旅人...

2023
15

ジョージアの首都トビリシで美味しい食堂訪問 - Delicious food in Georgia -

トビリシ滞在最終日に訪れた食堂のお話し。長く深い地下鉄とも暫くさよならか…と思うと寂しくなった。私がジョージアへ初めて訪れた時は、他の場所での悪天候により訪問が遅れ思うように見て回る事が出来なかった。2回目も3回目もバタバタしていたので首都トビリシはあまり見る事が出来ず、4回目の訪問にして漸くじっくり見て回る事が出来た。5回目の訪問もそう遠くないうちにと願う。この時訪れたラチャ。ドゥカニと呼ばれる大衆...

2023
11

ツミンダ・サメバ大聖堂とジョージアの不思議なレモネード - Tsminda Sameba Cathedral & Georgia's Mysterious Lemonade -

ツミンダ・サメバ大聖堂。アヴラバリの高台に立つジョージア正教会総本山。メトロの駅から少々歩く。デザインは公募で決まったという高さ約87mの巨大な教会。私が用があったのは同境内にあるラギゼ・ウオーターだ。ここでどうしてもレモネードが飲んでみたかったのだ。ジョージアのレモネードは不思議だ。1887年ミトロパネ・ラギゼにより考案されて依頼人々に愛され続けている。そのフレーバーはレモンだけではなくエストラゴン(...

2023
06

トビリシの廃線跡 - Abandoned Railroad Tracks in Tbilisi -

トビリシの街を散歩している時、ふと建物と建物の隙間が気になった。「これは…廃線跡?」折角なので進める所まで進んでみよう。ゴミが捨てられ草が踏みしめられた様子を見ると日常的に近隣住人が通り道にしているのかな。こうした廃線跡散歩は川越の西武安比奈線跡を追いかけて歩いた時以来かもしれない。左側が工場で、右側が様々な施設やアパートがあるようなエリアだろうか。レバーを動かしたくなる衝動。年季は入っているが現...

2023
07

ジョージアの新年の祝い - A Happy New Year in Georgia -

雪山で地獄を見た翌日、何事もなかったかのように首都トビリシで迎える穏やかな朝。地下鉄の駅から徒歩10分、住宅密集地ではあるが敷地は広く高低差があり、建物も庭もゆったりとしている。一般住宅の敷地内にある離れがホテルとなっており、長期滞在の出稼ぎの若者も住んでいた。この日はオーナー一家のご厚意で親族で行なう新年の食事会へ連れて行って頂ける事になった。トビリシの端の端、こんな街があるのかと初めて足を踏み入...

2023
16

モスラヴィナ人民革命記念碑、バニヤ人民蜂起記念塔…旧ユーゴスラビア各地に残るスポメニック - Spomeniks that remain in various parts of the former Yugoslavia -

スポメニック。旧ユーゴスラビア各地に残る戦争記念碑の事だ。私がスポメニックを初めて見たのは確か2009年頃、インターネット上のとある記事を見た時だった。世界にはこんなにも奇妙な構造物が存在するのか。己の想像を超えたものがそこにはあった。それから約10年…自分自身でスポメニックを対峙する日が来るとは思ってもいなかった。モスラヴィナ人民革命記念碑。やはり初めてスポメニックの中で特に印象的な造形をしていたのは...

2022
12

北朝鮮・中国との国境の町ハサン - Khasan(Russia), a border town with North Korea and China -

ロシアの真の僻地とは、一体何処だろうか。北極圏、カムチャッカ、チュクチ自治管区、マガダン、フランツヨシフ諸島…などなどきっと多くの僻地がある。そしてここハサンも、僻地のひとつではないだろうか。そしてハサンは原則的に外国人の入域を禁じており、ロシア国民しか入域が出来ない場所である。私が訪れた経緯はあえてここには記さないが、過去に某イベントで話した事があるので、そういった機会にまた詳しく話す事があるか...

2022
07

アナクリアの退廃的光景 - The decadent landscape of Anaklia in Georgia -

正月明けのリゾート地、余りに寒々しい黒海に面したジョージア西部。夜明けも遅く、ゆっくりゆっくり日が登る。アブハジア国境が目前のこの地へ、いつかは行こうと思っていた。リゾート地…とは言っても、それは名ばかりであり。2010年、アナクリアはリゾート開発を急速に開始した。しかし2012年の政権交代後それは忘却の彼方へ…2016年には深海港の建設が始まりアナクリアの投資と雇用、地政学的な突破口が期待されたがそれも2020年...

2022
12

ビシュケク散歩、ソビエト建築と不思議な物々 - Soviet Architecture , Strange Objects and Monuments in Bishkek -

ビシュケク中心部の公園をふらふら歩いていたら、不思議な形をした小さな建物に遭遇した。嘗て公園で営業していた売店跡らしい。ソビエト時代の不思議建築。続いてビシュケク2駅。ビシュケク1駅もあるが、専らこちらが主要駅だとか。発着する列車もない時間帯だったようで実に閑散としていた。そして駅構内の写真撮影はNGだと言われた。「うーん、じゃぁ天井の写真だけでもいい?」「天井ならいいよ」…という訳で内部の写真は天井...

2022
05

ビシュケクに残る廃劇場(一部)とチャイハナ - An Abandoned Theater & Chaikhana in Kirghiz -

そこは実にひっそりと残る。首都ビシュケクの中心部のとある古い建物。様々な店舗が入る所謂雑居ビル的な建物だろうか。そこは元々小さな劇場だったという。劇場閉鎖後、高い天井のその部屋は二分割され、下半分は現在カフェバーに、上半分は未使用の侭埃を被っている。折角のソビエトモザイクが勿体無い。下に降りると確かにモザイクの下半分が確認出来た。カフェバーから聞こえる重低音が鈍くズンズンと劇場跡内に響く。とても首...

2022
21

キルギスの面白い墓地、アラ・アルチンスコエ墓地 - Ala-Archa Cemetery in Kirghiz -

ビシュケクの静かな住宅地の一画に、ちょっと面白い墓地がある。まるでモニュメントを羅列した屋外美術館のような。アラ・アルチンスコエ墓地。(Алаарчинское кладбище)1948年に開業。1973年以来フルンゼ市議会の執行委員会の決定により、限られた土地しかないこの墓地には政治的及び公的地位を持っていたキルギス共和国の市民の埋葬と再埋葬を目的ととしている。政治家、芸術・文学・科学・教育の名誉ある労働者、そしてキルギ...

2022
08

キルギスに残る廃工場とショッピングモールでの美味しいご飯 - An Abandoned Factory & Delicious Meal at the shopping mall in Kyrgyzstan -

6月、35度を超える夏日のキルギス。街の中心から離れた一画を歩いていると意匠を凝らした門構え。こちら廃工場入り口。嘗てはワイン工場だった。これと言って何が残っている訳ではない。ただ、敷地内にはホームレスと思われる居住の痕跡が。寝床、数時間前に食事をしたような痕跡が見受けられた。さっと引き上げ、昼飯時でもあったので新しめのショッピングモールへ向かった。「古い小さなレストランより、綺麗なショッピングモー...

2022
21

キルギスに残る旧ソ連時代の工場 - Former Soviet-era Factory in Kyrgyzstan -

中央アジア構成国のひとつ、キルギス共和国。日本では専ら『キルギス』だが向こうへ行けば『キルギスタン』という名称で呼んでいる事に妙に感動を覚えた。首都ビシュケクに残るソビエト時代の工場。現在ビシュケクは再開発真っ最中でどんどん古い建物を壊して新しい街へと生まれ変わっているという。このソビエト時代の工場も一部は解体され一部は様々な企業により再利用されているが、この姿を留めるのはいつまでなのだろう。門に...

2022
08

ゴリのジョージア料理レストラン - Georgian restaurant in Gori -

一見そこは、民家のように見える。ジョージアの何処にでもありそうな地方都市の一角。しかしそこは、レストランだった。外観から中が想像出来ない。そんな場所がジョージアには沢山ある。瑞々しいトマトのサラダ。ワインはジョージアの魂よ、と、下戸なのに結構飲まされた。しかし不思議とこの日は酔わなかった。とても美味しいワインだった。可愛い壺に入った豆の煮込み料理。名はロビオという。金時豆(キドニービーンズ)を使っ...

2022
11

モンテネグロのスポメニック『スポメンの家』 - Spomen Dom in Montenegro -

写真集『旧共産遺産』の没スポメニックでもあるこちら、モンテネグロのスポメニック。名は『スポメンの家』という。バスを降り通りを歩いていると何やら建造物が。これがスポメンの家である。この角度から見ると、スポメニック感があまりない。入り口正面。コラシン市庁舎または文化センターとも呼ばれるスポメンの家は、モンテネグロのコラシンに位置するスポメニック複合施設である。1943年のモンテネグロ及びボカ人民解放国家反...

2022
01

ハバロフスクの軍事基地跡から極東の果てコムソモリスク・ナ・アムーレへ - From the abandoned military base in Khabarovsk to the end of the Far East, " Komsomolsk-na-Amure " -

ロシア全土どんな僻地にも大小様々な廃墟と化した軍事基地が存在している。ハバロフスクに現在一部をアルメニア人農夫が使用しているもののそこそこ残留物が残る廃墟と化した軍事基地跡があると聞いたので行ってみた。…が、残念ながら不発だった。よくある話しだ。それどころか馬に襲われた。頭をガジガジ齧られたのだ。フードを被っていた為そこまでダメージはなかったものの、馬も人間の頭を齧るのだな…と、心因的衝撃を受けた。...

2022
20

ウラジオストクの北朝鮮レストラン - North Korean restaurant in Vladivostok -

成田空港より飛行機で約2時間半、誰が言い出したか「日本から一番近いヨーロッパ」ウラジオストク。美しい街並み美味しい海鮮可愛いロシア雑貨、そして…北朝鮮レストラン。ロシア沿海地方は一部国境を北朝鮮と接している。両国間には鉄道も通っており、コロナ禍である2021年も北朝鮮からロシアのウスリースクまで鉄道が走っていたとか。コロナ禍前は留学生や労働者も数多く滞在していたらしい。(2021年での情報です)北朝鮮が中国...

2022
09

旧ソ連の廃墟と化した宇宙構造研究所 - Abandoned Institute of Space Structures of Georgia -

旧ソ連の宇宙開発関連の廃墟といえば、バイコヌール宇宙基地の廃墟が代表的な物かもしれない。しかしそれ以外にも宇宙開発関連の廃墟は存在する。畑ばかりが広がる田舎町にポツンと。放棄されてから2017年迄管理されていたが、音楽祭(野外フェス)の会場となり2年は続いたようだ…が、財政的及び法的な問題があった為それ以降は再び放棄される事となった。グルジアの宇宙飛行士は今まで宇宙へ飛んだ事がなく、国は宇宙船も作ってい...

2022
16

旧ソ連のアンテナフィールドと軍事都市跡 - Abandoned Soviet-era Antenna Field & Abandoned Military Area in Georgia -

旧ソ連の嘗ての軍事都市を目指し、私は朝一番で走り抜いていた。都市の入り口に雄々しい石像。居住区部分には今も人が住んでいるので完全放棄ではないようだ。恐らく管理業務を民間に委託しているのだろう。近所の農夫が兼務しているようだった。そして彼は全くフレンドリーではない。それでも旧ソ連の痕跡の上澄を啜るが如くこの目に焼き付ける事が出来たので、良い。この勝利という名の軍事都市は、1943年3月ロシア連邦軍参謀本...

2022
04

写真展『旧ソ連時代の構造風景』

Webサイト冒頭より -----2月24日、ロシア軍によるウクライナへの武力侵攻が始まりました。民間人も巻き込まれ、今もなお数多くの人命が失われています。こうした不幸が起きた背景となったロシアの歴史や思想、文化について考えながら、旧ソ連の構造物を撮っている写真家・星野藍さんの写真集をめくってみました。私がそこから何を読み取り、どう感じたかはあえて記載しませんが、色々な感情が押し寄せました。皆さんがそれぞれどう...

2022
28

ウラジオストクで2.6kgのカニを1人で食べた時の思い出 - King crab in Vladivostok -

初めてウラジオストクへ訪れた時、1人の日本人男性と出会った。すらりと背が高く端正な顔立ち、無意識に目で追ってしまう存在感。成田空港内で見かけ随分カッコいい人がいるものだなと思っていたら、ウラジオストク到着後偶然同じタクシーに乗り合わせる事になり仲良くなった。曰く元モデルだと言う。彼は言った「ウラジオストクにカニを食べに来た」。「カニ?」「うん、ウラジオストクてカニが安く食べられるんだって」「へー、...

2022
27

ライクパークの廃ミュージカルシアター&展示ホール - Rhike Park, Music Theatre and Exhibition Hall in Tbilisi -

ジョージアの首都トビリシの中心部を散歩していると「あれはなんだ…?」と目に留まる建築物を数多く見かける。ライクパークの廃ミュージカルシアター&展示ホールもそのひとつだろう。滞在先より徒歩10分。橋の上より夜明け直後のその建造物。ジョージアに訪れた最初の頃は、折角美しい街並みにどうして対照的な変な建造物を造るのだろう…と思っていたが、数年後にはその変な建造物の虜になっていた…。ライクパークは広い。早朝から...

2022
22

ソビエト時代のスポーツ複合施設跡“ラグーナ・ヴィア” - The Soviet-era Laguna Vere (sports) complex in Tbilisi -

ジョージアという国は魅惑の国だ。何度訪れてもやっぱり楽しい。3回目のトビリシへの訪問時、廃墟になったプールがあるという話しを聞き行ってみたくなった。外観の美しいモザイクアート。ジョージアにはこのようなソビエト・モザイクが数多く残っている。見ての通り、完全に廃墟という訳ではない。ソビエト時代に造られたラグーナ・ヴィア複合施設は、5,500人の観客を収容出来る屋外プール、ジムとサウナ、陸上競技場、オフィス、...

2022
07

ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の離宮 溥儀東行宮 - The Abandoned Imperial Villa of the Last Emperor in Dandong -

それを何で知ったのか、今となっては覚えていないが少なくとも意外にもインターネットではなかった。それだけは覚えている。ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の離宮 溥儀東行宮。この時世話になったガイドは、丹東生まれ担当育ち、北朝鮮へも年に何回も仕事として足を運ぶ男性だった。そんな彼も「こんな場所今まで知らなかった!」と驚いていた。当時2015年。廃墟化したこの建物の周りには近隣のご老人方が集い音楽をかけては踊り...

2022
14

ラトビアの謎の廃墟とエストニアの可愛いお宿 - Mysterious Abandoned Place in Latvia and Cute Guesthouse in Estonia -

バルト3国遠征をした時の事。ラトビア某所の旧ソ連の軍事都市跡を見終えエストニアへ向かう途中、謎の施設が廃墟化しているのを発見。ちらりと見ていく事に。一生懸命調べる時間もない為未だ何の関連施設であるのか不明。道路を挟んで向かい側には古くはない墓場有り。通る車は林業関係と思われしものばかり、辺りに響くはキツツキの音のみ。静かな森の影から、うん、何もない。平地と森の繰り返し、単調な景色に飽き飽きしていた...

2022
07

エストニアの戦争遺構 2 - Estonian Bunker, Trace of World War II -

前回に続き、エストニアの戦争遺構。長い歴史の中エストニアは最初に統治したデンマークから始まりドイツ、ロシア、スウェーデン、ポーランドなど大国の間で度々戦争に巻き込まれ複雑な歴史背景を持っている。私が巡った戦争遺構は、大祖国戦争(第二次世界大戦)関連の場所だ。こうした遺構はバルト海に面したロシア側の辺りには特に多いかもしれないが、アクセスはそこそこ面倒だ。ナチスの鉤十字とソ連の鎌と槌の落書き。稚拙な...

2022
17

エストニアの戦争遺構 - Estonian Bunker, Trace of World War II -

この日私は、エストニアからラトビアへ向かっていた。翌日はそのままリトアニアまで抜ける。控えめに言って移動距離はそこそこキツい。しかしそれでも見たい物がある。戦争遺構だ。パッと見ては…ただの雑木林にしか見えない。散策すると、掩体壕がそこにある。巨大な恐竜や鯨の体内、肋骨に囲まれたかのような感覚を覚えなくもない。エストニアにもこのような戦争遺構が数多く残っている。一見ただの盛り土か小高い丘とまでは行か...

2022
08