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SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

ブルガリアの放棄された劇場 - An Abandoned Soviet Theatre, Bulgaria -

まだ陽の出ぬ頃に、山羊のチーズ、トマト、キュウリ、ハム、ソーセージ、卵、ベリーのジャムにパン、一杯の珈琲。朝焼けと共に小さな町を出て、私はその劇場へとやって来た。映画も、ソビエト政権の政策の一つとして利用されていたという。この場所はソ連崩壊の1991年まで使用され、またその後も暫く通常の映画館としても機能していたようだ。今となっては朽ち果てるが侭に。チケット売り場。これといって何が残っているわけでもな...

2018
08

レトロフューチャー、人民解放戦争の堕落戦闘機の記念碑 - Monument to the Fallen Fighters of People's Liberation War -

そこは過去であるはずなのに、何故か未来を感じた。ボスニアのとある地区に墜落したパルチザン戦闘機の記念碑。そして、遺骨も埋葬された墓地でもある。同時に第二次世界大戦下のユーゴスラビアにてセルビア将兵によって組織されたナチス・ドイツへの抵抗組織、チュトニックのリーダー、スパス=タディックを殺害した不法労働者2人を偲ぶ為に建てられたという。しかしそこに刻まれた名前はそれだけでないように見える。墜落事故で...

2018
03

西川口チャイナタウン散策、未来的ディストピアを感じるホテル、自衛隊駐屯地見学…廃墟、共産圏以外の様々なレポート - An interesting report other than haikyo -

廃墟や共産圏以外でも、様々な不思議だったり珍しい場所へと足を運ぶ事が多いのですが、そちらのレポートはゴリラクリニックdigさんにて掲載させて頂いております。今回はその記事を幾つかご紹介です。【赤坂/六本木】米国大使館職員宿舎が超オシャンティ! テンプルタウンハウスのガレッジセールに行ってみた(フレンドシップデー)普段東京の街を歩いているだけではなかなか見えない景色もあります。ずっと気になっていたその建...

2018
01

なんだこのB級スポットは…廃養蜂研究所 - The abandoned Beekeeping Research Institute in Japan ... It's lousy! -

所謂世界4大廃墟などと呼ばれる有名物件や大型廃墟、amazingでほにゃらら映えするスポットが持て囃されるのは何処の世界に限った事ではない。全体的に簡単であるもの、手軽であるもの、気軽であるもの、そういった物ものが持て囃され瞬発的話題により持て囃される。話題性は、必ずしも良い影響があるものとは言えない。(様々な意味で…。そうそうバズルジャは入れなくなりました…保存がこれより進むらしい。)難しくても持続性のあ...

2018
31

信号機の墓場 - The Abandoned Traffic Lights Boneyard in Japan -

去年の夏だったろうか。Twitterで話題となりずっと気になっていた場所があった。機会に恵まれ一年越しにそこへ訪れる事が出来た。信号機の墓場。…とは言うものの、実際は墓場ではなく、再利用を待つ「大事な財産」としてこの場所に保管されているものだ。「墓場」として有名になってしまった事は、些か不名誉な事だったのかもしれない。「もしかしたら、数年後はここの信号機がLEDのものになっているかもしれないね」と、友人。こ...

2018
26

明日から『日本統治下時代の痕跡・日本人街』個展開始です - Photo Exhibition " Traces of Japanese era era · Japanese town " -

いよいよ明日からです。7/21〜28、名古屋の特殊書店・BiblioMania(@BiblioManiaY)さんにて、曾て大連に存在した日本統治下時代の痕跡「日本人街」の写真展を行います。2015年〜2016年にかけて再開発により消えた「東関街」を中心に、幾つかの日本人街の写真を展示します。web未公開写真ばかりです。■開催日:7/21(土)〜28(金)営業時間:平日14時~20時/土日祝13時~20時定休日:月・火・不定休(ビブリオマニアのツイッター...

2018
20

キューピーの館 - The Abandoned House of Kewpie -

吐く息が白い。朝もやが立ち込める。久々に会う友の顔を見ると嬉しくなる。感傷に近い喜びを噛み締め取り敢えず向かうは………。通称、キューピーの館。大量のキューピー人形、文化人形が所狭しと並んでいる。水子供養の為だったとも、子宝祈願の神社仏閣の類だったとも、宗教施設だったとも言われているが真相は不明。昔、YouTubeを見ていた時。日本人形が並ぶ部屋のある廃屋への探索レポート動画があった。探索者は二階へとあがって...

2018
12

背筋がヒヤリのペナント医院 - An Abandoned Clinic contributed to local medical care -

地域医療に貢献した、田舎の総合医院。小さいながらもモダンな医院建築の内部は、凝縮された空間に仕上がっていた。入院棟は別棟となっており、思いの外規模は大きかったようだ。薬立てクルクルが可愛らしい…正式名称は何と言うのだろう。糞便の標本は確か蝋製と聞いている。知人が子供の頃通っていた病院でこれを見た事があると言っていた。近隣には他にも廃医院があったが、残念ながら倉庫として使用されているようだった。地域...

2018
03

ボスニアの紛争跡、あえて残される廃墟 "リュブリャンカ・バンカ・タワー" - An Abandoned Building in Mostar(Ljubljanska Banka Tower) -

その日首都サラエボは、雨だった。サラエボ入りしてからどうにもグズグズご機嫌斜めな涼しい天候が続いていた。が、モスタールの街へ来てみたらどうだろう。スカッと快晴気温29度。至る箇所で道路工事中。終わりが見えなさそうな工事に見えるのは自分だけだろうか。ネレトヴァ川の翠色が美しい。ネレトヴァと言えばかの有名な『ネレトヴァの戦い』だ。第二次世界大戦中の1943年初頭、枢軸国連合部隊によりユーゴスラビア全域で行わ...

2018
02

名古屋のサブカル・アングラ特化型ライブハウス・金色鮫コンジキザメ…の、こけら落としイベントに乱入する事となりました。

コンジキザメとはなんぞや。詳しくはこちらをご覧くださいませ。7/21(土)オープン。そのこけら落としイベントに参加させて頂く事となりました。今の所樹海SPとありますが、自分は北朝鮮か、同時期名古屋で開催する日本統治下時代の痕跡の写真展に絡ませ日本人街の話をするか、旧共産圏の廃墟の話をするか、父から聞いた九龍城の話をするか…悩ましいところです。。場所:名古屋市中区栄4-7-1 ニューユタカビル402時間:夜(19:00...

2018
28

忘れらかけた第二次世界大戦の記念碑・フォークモニュメント - The Monument to Hanged Patriots -

モンテネグロ首都ポドゴリツァ郊外の小さな村に、そのフォークは佇み続ける。うっかり通り過ぎてしまいそうなこの小さなモニュメント。しかし唯一無二の存在感を放つフォルムを湛えている。この近辺の村はかつてイタリア軍の支配下に置かれていた。しかし1943年、ドイツ軍が取って代わりその地域を支配した。イタリアと比べものにならない程残忍非道の限りを尽くすドイツ軍は地元住人を大量に処刑した。パルチザンに対する報復とし...

2018
25

明治医院 - The Abandoned Clinic in japan " Meiji Clinic " -

古い廃医院は、廃墟の中でも特にタイムカプセル的要素が詰まっているものかもしれない。小さなその空間に、ひとつひとつ見ても決して飽きる事のない宝箱が幾つも眠っている。この目で見るのは余りに真新しい残留物の数々に、いつ足を運んでも魅了される。地域の総合医療を嘗て担っていたであろうこの廃医院。やや片付けられている印象があったものの心を惹きつけるものがある。唐突な大きな木の箱…?と思い扉を開けたらレントゲン...

2018
20

旧ユーゴスラビアの列車の墓場 - Train Graveyard in Yugoslavia -

冬の晴れ空の下。こんなにもセルビアの冬とは暖かなのか?いや、あの時はどの雪国も何故か暖かすぎた。暑い暑いと言いながら、羽織るジャケットを鞄にしまい歩みを進める。目の前に見えてくる地下道入り口。そのすぐ奥にあるゴミ溜めのような掃き溜め。ジプシーの村だ。こちらではロマと呼ばれているが日本人にはジプシーという名称の方がしっくりくるかもしれない。ロマは、こちらに気がつくとロマの言葉で激しく罵倒してきた。老...

2018
14

名古屋の本屋さんにて『日本統治下時代の痕跡・日本人街』個展開催します - Photo Exhibition " Traces of Japanese era era · Japanese town " -

7/21〜28、名古屋の特殊書店・BiblioMania(@BiblioManiaY)さんにて、曾て大連に存在した日本統治下時代の痕跡「日本人街」の写真展を行います。2015年〜2016年にかけて再開発により消えた「東関街」を中心に、幾つかの日本人街の写真を展示します。web未公開写真ばかりです。■開催日:7/21(土)〜28(金)営業時間:平日14時~20時/土日祝13時~20時定休日:月・火・不定休(ビブリオマニアのツイッターをご確認ください)■場所...

2018
05

破壊されたパルチザン支隊記念モニュメント - Monument to the 1st Split Partisan Detachment -

パルチザン。正式名称、ユーゴスラビア人民解放軍およびパルチザン部隊。第二次世界大戦時のユーゴスラビアにおける、枢軸国の支配に抵抗した共産主義者主体の勢力の事だ。パルチザンはユーゴスラビア共産党率いる人民解放戦線の軍であり、その最高意思決定機関はユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議(AVNOJ)であり、ヨシップ・ブロズ・チトーを最高指導者とした。パルチザンという名前からか、どうしてもゲリラ勢力が想起さ...

2018
31

第二次世界大戦を忘れる事なく…ユーゴスラビアの痕跡、ストーンフラワーモニュメント - Yugoslavia's remnant Cvjetni spomenik "Stone Flower Monument" -

あれ程天気が良かったのに、どんどん雲行きが怪しくなってきた。遠目に見ゆる目的地。あれだ。本格的に雨が来る前に。翼を広げたかのような。大きな花びらを咲かせたかのような。正解は後者だ。スートンフラワー。第二次世界大戦中、絶滅収容所で処刑された数十万人の人々を慰霊するモニュメントだ。戦争の悲惨さと、自由の尊さを忘れる事なく生きていく事を。というのは大義名分で、概ねユーゴスラビアの政治的プロバガンダとして...

2018
28

生々しい紛争跡が刻まれる、サラエボのショッピングモールの廃墟 - Shopping Mall Destroyed by The Bosnia-Herzegovina Conflict -

そこを知ったのは偶然だった。道路を走らせている時、ふと目に入る破壊された建物。「あれは何?」「紛争の時破壊された建物だよ。」首都、サラエボに。そのまま放置されているとは。博物館で見た紛争時の映像に映っていた建物だった。その建物の前で銃撃戦が起きていた。鳴り響く銃。人々の叫び。戦う軍人。倒れる民衆。血と涙と怒りと悲しみと。そこには悲劇しかなかった。様々な廃墟を見てきた。美しい廃墟、不気味な廃墟。不思...

2018
23

オリンピックも夢の跡…サラエボのスキージャンプ場の廃墟 - The Abandoned Ski Jumping Venue from Sarajevo's 1984 Olympics -

1984年、サラエボオリンピック。その跡地の一つ、スキージャンプ場。今では廃墟化した観客席が取り囲むように、子供達の遊び場が提供されている。傾斜の先には、スキージャンプ場。苔むし劣化したコンクリートの階段を登り、上へ上へと目指していく。地味に苦行だ。1984年サラエボオリンピックは、1984年2月8日から2月19日までユーゴスラビア…現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで行われた冬季オリンピックだ。規定の変更に...

2018
22

オリンピックも夢の跡…サラエボのボブスレートラックの廃墟 - The Abandoned Sarajevo Bobsled Track in Sarajevo -

1984年。ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアの一部だった。冬季オリンピックが現在のボスニアの首都・サラエボで開催された。オリンピック景気に街は活気付いた。しかしそれから7年。1991年に勃発したユーゴスラビア紛争に伴いユーゴスラビアは解体。ボスニアは1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の血塗られた舞台となった。平和の祭典とは、一体何だったのだろうか。オリンピックの各施設も無慈悲に...

2018
18

幽幻なる未来から時を超えて…コスマジ・モニュメント - Kosmaj Monument -

スポメニック(Spomenik)。それは旧ユーゴスラビア時代建てられた戦争記念碑。未来から時を超えてきたのかと思わせるようなサイエンス・フィクション的ビジュアル。これらは戦争の悲惨さ、自由の尊さを現している。遺棄されたかのように見えるが、一応記念公園だ。コスマジ・モニュメントの作者は未だ不明だ。1970年に造られたその記念碑は第二次世界大戦の時戦いしパルチザンの英雄たちを慰霊するものだ。1941年から1945年まで、...

2018
10