SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル写真ブログ。

구룡마을 - 韓国最大のスラム街・九龍村 - 3

九龍村の住宅は、廃墟と化したものも少なくない。住人を失った家は役所の手入れがすぐ入るのか、網がかけられ立入禁止となっている。もう少し散策を続けようとおも思ったが、夥しい数の小蝿に心が折れる。一期一会。実はここ江南区には、もう一つスラム街がある。九龍村から徒歩15分程。駅の目の前にある公園内に入っていく。鬱蒼と茂る植物、湿度がじっとりと上がるような気がする。ダルト近隣公園。団地と教育施設に囲まれた場...

2016
14

구룡마을 - 韓国最大のスラム街・九龍村 - 2

ある家は屋根が南瓜の蔓に侵食され、ある家は住人を失い廃墟と化す。人間廃墟の掃き溜めの村。しかし身形が汚い、というわけではない。普通だ。至って普通だ。人間とは、何と逞しいのだろう。脆弱な社会保障制度により生まれる格差社会。しかしここにも、再開発の手が伸びようとしている。2016年から着手されるらしいが、今の所そのような様子は見受けられなかった。九龍村一帯を再開発する話は、実は20年以上前から出ているら...

2016
13

구룡마을 - 韓国最大のスラム街・九龍村 -

江南、と聞いて、殆どの人が数年前に流行った江南スタイルを思い浮かべるのではないだろうか。あの爆発的(?)なブーム(??)は一体何だったのだろう。当時もよく分からなかったし今となってもよく分からない。江南スタイルはともかく江南はサムスンをはじめと様々な大企業のビルが並び、1億円クラスの高級マンションが建つセレブの街だ。韓国旅行へ来て自分が泊まったホテルは江南エリアにあった。地下鉄で3駅のところに韓国...

2016
12

“廃遊園地”のテーマパーク、Yongma Land(ヨンマランド)

Yongma Land(ヨンマランド)は、1983年にオープンしたファミリー向けの小さな遊園地だ。地元の家族連れに人気の遊園地だったが、1989年に大規模なアミューズメントパーク・ロッテワールドがオープン。次第に客足が遠退きヨンマランドは2011年に閉園。しかしその後も、荒廃した雰囲気を売りに“廃遊園地”のテーマパークとして営業されている。韓流ドラマやK-POPアイドルに人気のロケ地でもあり、休日にはコスプレイヤーなども撮影を...

2016
06

鍾路真空地帯

キンパ(韓国風海苔巻き)をもしゃりと食した。キンパは現代風にアレンジされたモダンなキンパだった。イカスミのキンパ、スパムのキンパ、とびっこのキンパ。マヨネーズはお好みで。茹だるような暑さ。韓国は涼しいと思っていたのだかそんな事はなかった。湿気が酷く寧ろ東京より暑く感じる。爽やかなブルーのパイナップルサイダーを一気に飲み干す。喉が、躰が乾ききっていた。腹を満たした後地下鉄を乗り継ぎ目的地へ。小規模な...

2016
01

日帝残滓・三菱列 2

小さな家が長屋のように連なるレトロな光景。現在社宅の存廃論議が持ち上がっている。スラム化した治安の問題。景観美化の問題。改装を推進する主張。完全撤去の主張。歴史的意義の為保存をする主張。当時の仁川では珍しく下水道が完備された建物であったという三菱列社宅。この日帝残滓の痕跡が建て替えられる日も、そう遠くないのかもしれない。しかしこの住宅街の中に入ると、街中である事にも関わらず妙な静寂に包まれる。周り...

2016
25

日帝残滓・三菱列社宅

初めての韓国洄遊。高層ビルが建ち並び網目のような地下鉄網。ソウルは言葉の違う東京のようだ。故に余り“トリップ感”を感じない。一目瞭然な都市構造。地下鉄を乗り継ぎ約1時間。その日私は仁川市富平区へ足を運んだ。唐辛子の赤色が目に飛び込む。焼き焦がれるような猛暑日。汗は絶え間なく吹き出し日本では聴かぬ蝉の声が反響する。ソウル近郊のベッドタウンとして栄えるそこは、日本統治時代から陸軍の造兵廠があった場所だ。...

2016
24

판문점 -軍事境界線、板門店-

朝鮮半島中間部に位置する朝鮮戦争停戦のための軍事境界線上に存在する、板門店。60年以上に渡る朝鮮の南北分断の象徴。板門店は、ソウルの北約80km、平壌の南約215kmに位置する。朝鮮戦争の停戦ラインである軍事境界線(DMZ-DeMilitarized Zone又は非武装区域とも言われる)上にあり、周囲は南北両国の共同警備区域となっている。韓国軍を中心とした「国連軍」と朝鮮人民軍が境界線を隔てて顔を合わせ警備にあたっているのだが、...

2016
22

うつろいゆく都市・大連 -文化台を散策する-

日本統治下の情景に憶いを馳せつつ、文化台の散策を続ける。日露戦争後の1905年から1945年の終戦まで、日本が統治した大連。嘗ての日本人街が全て、真新しい高層ビルで埋め尽くされる日も、遠くないのかもしれない。スクラップ&ビルドを繰り返し、大連に限らず、亜細亜は今後も終わりのない発展を遂げていくだろう。新たな光を生み、新たな影を生み、終わりのない絶望と共に。...

2016
21

+ Tower of revenge + 復讐の塔が建つ村・メスティア 3

20世紀初頭迄続いた血腥い風習は過去の遺産。復讐の塔は今日も明日も穏やかに、町を見下ろす。町の至る所で豚、牛などの家畜が自由に闊歩し、自由に昼寝している。当初の天気予報では微妙な空模様だったようだが、すっかりと晴れ渡り気持ちの良い1日だった。そしてこの町もまた。飯が美味い事この上ない。手前はチーズとジャガイモのマッシュを混ぜ合わせたような食べ物。全力の高カロリーを感じる。フランス料理のアリゴのよう...

2016
20

+ Tower of revenge + 復讐の塔が建つ村・メスティア 2

9世紀から12世紀に建てられたという“復讐の塔”。スヴァネティ地方特有の、血腥い氏族間の復讐制度、“血の掟”。自分又は家族や親戚の一員が危害や侮辱などを受けた場合、殺害された場合。必ず相手又はその家族や親戚の一員に復讐を果たす。というものだ。目には目を、とは言ったものだが家族にまで復讐をするというのだから堪ったものではない。その復讐の的となった者達が籠城する為にあるのが、“復讐の塔”なのだ。塔の中部には、...

2016
19

+ Tower of revenge + 復讐の塔が建つ村・メスティア

グルジア、スヴァネティ地方。3000m級から5000m級の山々に囲まれているスヴァネティは、ヨーロッパの定住地域では最も海抜標高が高い。カフカース山脈の最高10峰のうち4つがこの地方に存在している為、深い峡谷に分けられた地域である。コーカサスは山を越えれば民族が変わると言われる所以。ズグディディという町から山を越え谷を越える事約4時間。山深きメスティアという町へ着いた。宿を取っていなかったのでドライバーにいい...

2016
18

うつろいゆく都市・大連 -文化台に残る日本人街の痕跡-

興亡盛衰。高台に並ぶ一戸建ての住宅。大連を代表する景勝地として知られる老虎灘へ向かう、解放路沿いの高台にある嘗ての日本人街。それが文化台だ。中国の中央政府が着手した「東北振興」政策。それは古き良き大連の景観を次々と破壊していく事となる。…ヤギ?この時、2015年5月。二度目の中国、初めての満州時代に触れる旅に鼓動の高鳴りを隠せなかった。今思えば、不用意に道端に叩き出されたゴミ、家具が、やたらと多か...

2016
18

未承認国家・アブハジア自治共和国 -Аҧсны Аҳәынҭқарра- Столица Сухуми 首都スフミを練り歩き

それは、この国で一番のトラブルに見舞われた日であった。立場ある人間、ない人間、問わず古今東西変質者は存在するものだ。人間の欲の形に、際限なく無限の可能性を時として感ずる。車を飛び降り逃げた先には、例の如く廃墟があった。こんな時でも、物言わぬ傍観者はなんて美しいのだろう。「хороший !」ヨイモノ、に出会った時、そこに誰かがいれば必ずそう声に出した。廃墟に対してのхорошийは、時に訝しげ、時に苦笑い、時に満...

2016
10

未承認国家・アブハジア自治共和国 -Аҧсны Аҳәынҭқарра- Русский суши! アブハジアで食べた”SUSHI”

スフミの植物園は古い歴史を持つ。日本でも見慣れた植物が数多くあり、曾ては手入れが行き届きそれはもう素晴らしい庭園が広がっていたに違いない。私が行った時は生い茂り放題で鬱蒼としているだけの林、という感じの光景が広がっていた。スパイ容疑を掛けられたものの無事解放されたものの。疲れた。なんだか無駄に別に大した事はしていないけど疲れた。そりゃそうだ、一時は強制送還させられかけたのだから。あー、夜ご飯、何に...

2016
09

八画文化会館叢書vol.06 チェルノブイリ/福島 ~福島出身の廃墟写真家が鎮魂の旅に出た~

八画文化会館さんより、『八画文化会館叢書vol.06 チェルノブイリ/福島 ~福島出身の廃墟写真家が鎮魂の旅に出た~』を出版して頂ける事となりました。8月6日(土)の発売です。震災後、様々な想いを抱き訪れたチェルノブイリ。その後自ら赴く事を自粛していた福島の禁止区域へ。チェルノブイリと福島。「どうして一緒にするの?」「同じにする事の意味が分からない」…、ああこれは、表には出してはいけないものなんだ、世の中...

2016
27

未承認国家・アブハジア自治共和国 -Аҧсны Аҳәынҭқарра- Заброшенное колесо обозрения 残された観覧車

それは通り過ぎるだけの何気ない日常風景。スポーツ少女たちは集いおしゃべりに花を咲かせ、男たちは暇そうに歩いたり座ったりしていた。目に入るも認識されない瑣末な背景のひとつなのだろう。多くの旧ソ連の名残は、あからさまな形で削り取られている。ここには珍しく、残っていた。保養地として栄えていた頃には、小さな遊園地として賑わいを見せていたであろうこの場所。観覧車を撮っていると、地元住人に誘われオフィスで軽食...

2016
15

未承認国家・アブハジア自治共和国 -Аҧсны Аҳәынҭқарра- Заброшенный санаторий サナトリウムの廃墟

首都スフミから北へ約94キロ。温暖な亜熱帯気候。黒海に面し冬も降雪の少ない自然豊かな街。此処はロシア帝国やソビエト連邦の支配下にあったときには有名な保養地だった。1989年頃からアブハジアの独立運動が勃発し、1992年から1993年にはアブハジア紛争が起こる。民族浄化、亡命。人口は激減し街は廃れた。未だにロシアからの観光客はそれなりに多いように見える。復興は完全ではないだろう。至る所に、サナトリウムや皇族の豪邸...

2016
11

未承認国家・アブハジア自治共和国 -Аҧсны Аҳәынҭқарра- Stand by Me "Останься со мной"

少年よ、大志を抱け。線路は続く。一線のみ現在も使われているかのような様子は見受けられる。が、此処までは旅客用の鉄道は確か通っていない筈だ。風の音、鳥の囀り、蜜蜂の羽音。いつの間にか少年たちの姿は見えなくなってしまった。嘗て機関庫として使用されていた巨大な建築物。管理人の男性は、暇を持て余しているようだった。小さな管理棟にはこれと言ってなにがあるわけでもなく。廃墟で洗濯物を干したり。絨毯を干したり。...

2016
08

未承認国家・アブハジア自治共和国 -Аҧсны Аҳәынҭқарра- 海上集落から発展した街・オチャムチレ

首都・スフミより約53キロ離れた場所にある街、オチャムチレ。嘗ては18700人もの人口を誇ったものの、1992-1993年に勃発したアブハジア紛争により住民の多くが難民となった。街に完全に人は戻らず、閑散しきった廃れた街並みが広がる。行けども行けども、牛ばかり。途中すれ違う人々は…、…お世辞にも、治安の”良い”街だとは言えないだろう。「そんな高そうなカメラさげて。危ないよ」「ルーブルかドル換算だといくらなの?」優しい...

2016
05