SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル写真ブログ。

いつか見た故郷

雨が上がる。空はまだ鉛色を携え湿気を含んでいる。梅雨の頃は意外と寒い、夏になれば湿気に激しい熱気が加わり頭が茹だりそうだ。何て事ない、瑣末な日々の写真。その瑣末な日々が、突如として暗転し、二度と手に入らなくなる事もある。震災、然り。不条理な雨は冷たく降り注ぐ。何があろうと緑だけは顔を上向く。チャリンコを漕いで坂道を全速で駆け上がるあの日々は、嵐と共に吹き飛んでしまった。だけど今日も、笑っている。...

2015
27

吾妻小富士

豊かに高く 聳え立つ吾妻小富士(あづまこふじ)は、福島県福島市にある標高1,707mの山で、吾妻連峰のひとつである。中央にある大きな火口が、麓の福島市側から見るとあたかも富士山の山頂のように見えるが、本来の山名は「摺鉢山」である。早春のころになると山肌に残る雪がうさぎのような形に見えることから、この残雪は「雪うさぎ」と呼ばれ、福島市民に春の訪れを知らせる風物詩となっている。が、年によってはうさぎに見えな...

2014
29

磐梯吾妻スカイライン 貳

一天の空小さな頃、天気のいい初夏の頃だったか、夜に星空を見に行った。磐梯吾妻スカイラインを車で走り、吾妻小富士を駆け上がり。吹き上げる風は強く、標高1000メートルを越える山は只管に寒かった。父と母と弟と私の4人で、改めて初めて、4人で見上げた星空だったかもしれない。いや、数えきれない程空を眺めるたんび、無駄に星座に詳しい父に星空の何たるかを教えては貰ったけれど、あの星空がどうしても、脳裏に、胸に...

2014
03

磐梯吾妻スカイライン

天浄天戯福島駅に降り立つ。車を実家に向け走らせれば何処を走っても視界には吾妻山が広がる。山は、常に隣にあるものだ。そういう認識で過ごしてきた。無意識下で、ずっと。...

2014
02
2014
09

九秋の水端 2

[ 合掌 ]...

2014
05

九秋の水端

フミさんが施設に入ったという話しを、夏の終わりを感じずにはいられない9月3日水曜日、縁側で桃と茄子の漬け物に齧り付き前歯を無防備に剥き出しにしている時に、聞いた。フミさんは、お正月やお盆な何の気無しの休みの日なんかに、決まって祖母の家に来ては晩酌をしていたねぃさんで、親戚ではないけどちょっとしたお婆ちゃんみたいな存在だった。誤摩化しの利かない鋭く力強い眼光と酒灼けした声に凄みを感じ、何となく怖かっ...

2014
04
2014
12

大竹子育地蔵尊

ふらふら気の向く侭に帰省したとある春陽の頃。祭りだ。懐かしい、祭りだ。幼年期、必ず水飴を買いに走った、毎年四月の第三日曜日に行われる大竹子育地蔵尊の例大祭。地域の小さな祭りだが、福島市各地から人が訪れなかなかに賑わっている。あめ屋さんあった、ふふふ。うろちょろしていたら親戚に声を掛けられた。お寺の中も見て行きなー、と。何年振りだろうこの中に入るの…。ずらりと並ぶ、沢山の地蔵様。大竹子育地蔵尊には、...

2014
14

福島市民家園

小学生の頃の朧げな記憶、遠足で行った古民家園。あの頃は何かあるな親戚の家っぽいのが、位にしか思っていなかったけど、廃やら旧き良き物々に目醒め切っている今行ったら何をどう感じ取るのだろう。と云うわけで久々過ぎる程に久々に訪れた、福島市民家園。昭和45年、福島市松川町に所在した鈴木家住宅(赤浦屋―馬宿)が川崎市立日本民家園に解体運搬され、翌年復原されたことが契機となり、民家の保存施設の構想が始まった。昭...

2014
13

望郷 3

八千代に遍く捌陌卐[ 続 ]...

2014
05

望郷 2

ただぽっかりと、忘れ去られ見向きもされない建造物。草は定期的に苅られているものの何に使うているのか分からない高地。見上げれば首が痛くなる程高く青く澄み渡る空。帰りたいけど、帰りたくない。[ 続 ]...

2014
03

望郷 1

からっからに吹き下ろす吾妻おろしを真っ正面から受け、延々続く坂道をチャリンコ立ち漕ぎで数十分。そんな単調な、毎日だった。人撮りのご依頼を受けた。がっつりポートレート等そう載せた事もないのに、何も見ず直感でそのようなご依頼を頂ける等、とても恐れ多く、有り難い。生きている人間を、自発的にこう、なんていうか、撮影してこなかったのは。初めて撮影をお願いされた人間が、死体だったから、なのかもしれない。自分に...

2014
02

2013年正月、帰省。 12

こんなにも、故郷を愛おしく想うのは、一度失ったからか(震災の前にも、故郷に関しては色々在り過ぎた)。だけど過ぎ去れば、「なんとかならないって事は、無いんだな」カラカラカラカラ、笑っていた。乾いた流れぬ泪の笑いなどではなく、ただ、高らかな青空のような。失う事は悲しい事ではない。死ぬ事は怖い事ではない。まっさらな何も無い器のようになってしまったら、それが終わりなのではない、それが、始まりなのだ。...

2013
28