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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

旧ソ連の廃原子力発電所 - The Abandoned Nuclear Power Plant in The Former Soviet Union -

旧ソ連。そこはどうしてそんなにも、不可解なもので溢れているのだろう。惹かれて焦がれて追い求めて止まぬその場所へ、私は向かった。ロシアとウクライナの狭間。原子力発電所の建つこの地の土壌と同様不安定な地。1976年より着工した原発の為に、1978年には建設従事者を集める為の街が近隣に作られた。しかし、1986年。世界を震撼させる史上最悪の事故が起きる。そう、チェルノブイリ原子力発電所事故だ。これを機に改めて土壌調...

2019
19

Чорнобиль чотирнадцять - チェルノブイリ 14 - день незалежності 1991年8月24日、独立記念日

1991年8月24日。17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後この国はロシア帝国の支配下に入った。第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年、ソ連崩壊に伴い漸く独立したが、チェルノブイリという負の遺産を抱きかかえる事となった。8月。日中35度を超える夏日となれど木陰に入ると思いのほか涼しいカラリとした気候。死の街と...

2015
25

Чорнобиль тринадцять -チェルノブイリ 13- Самосели 還りし者達

原発事故により禁断の領域と化したチェルノブイリ。一度離れた愛しい故郷に、再び戻ってきた人々がいた。人は彼らの事を、サマショールと呼ぶ。日本語では自発的帰郷者、帰村者等とも表現される彼らの中には事故当初から疎開を拒み、移住先の生活になじめず30km圏内の住み慣れた村に戻ってきた者もいた。基本的に立ち入り禁止区域に入るには、事前登録等手続きが必要とされ、退出の際は全身の放射能検査を行い、高い数値が出た場合...

2015
21

キエフにて 3 Молитва в Києві

キエフ地下鉄は、ソ連時代の1960年に最初の区間(1号線ヴォグザーリナヤ駅~ドニェープル駅間5.2 km)が開通した。これによってキエフは、モスクワ、レニングラートに次いで地下鉄を有するソ連3番目の都市となった。その後も延伸を続け、1976年には2号線のクレニーウスィカ・チェルヴォノアルミースィカ線、1989年には3号線のスィレーツィコ・ペチェールスィカ線が開業した。共産圏の名残りが残る、デザインの素敵な駅が数多くある...

2014
24

キエフにて 2 Молитва в Києві

この国の野菜は、しっかり野菜の味がするなぁ。なんて、のほほんと過ごしたあの時間が、また戻ってきますように。銃器類がなくても、ここを見ると戦争に等しい武器は一通り揃っているな…と、感じる。...

2014
23

キエフにて Молитва в Києві

季節の合間を縫うかのように、寒さの少し和らいだ頃、この地を訪れた。東ヨーロッパを彷彿させる街並(だけどウクライナの人々は、自分達の住んでいる場所をヨーロッパ、という認識では余り捉えていないらしいと聞いた)、飴売りの女の子、観光客相手のパフォーマー、移動式遊園地、鉛色の空の下だけど街はとても、明るかったように見えた。こんな事言うのも難だけど、元より自分はオリンピックと云うものに、てんで興味がない。滅...

2014
22

恋のトンネル  …木枯らし編。2。

恋のトンネル…ウクライナのクレヴァニ村(「村と町の間くらい」の地域という地区名)に現存する線路。廃線に見えるこちら、何と現役であります。チェルノブイリから直線で約360Kmに位置しており、元は冷戦時代旧ソ連でロケットを作る為の物資を工場に運ぶ為作られた私鉄なのだそうです。衛星から情報をキャッチされないように、木々で囲いトンネルのようにしたとの事。緑豊かな季節は本当にトンネルのように見えるものの、木枯らし...

2014
15

恋のトンネル  …木枯らし編。

一時期話題になった、「緑のトンネル」。是非、行ってみたいと、ずっと思っておりました。が。紅葉を期待して行ったら、紅葉どころか完全枯れ果て………まぁそれも、いとをかし。枯れた景色の方が、自分は好みではあるので、まったりと散歩をしてきました。途中、可愛いわんこと遭遇。とても人懐っこく、暫く共に行動しました。にょしにょし。[ 続 ]...

2014
14
2014
07

Чорнобиль дванадцять -チェルノブイリ 12- Кому молитву або ви отримаєте 誰に祈りは届くのか

テーブルの上にぽつん、と置かれた折り鶴。いつからそこに在るのかは分からないが、割と最近であろう。もしかしたら、3.11があったからこそ、平和への願いを込められ折られた鶴かもしれない。教会などではなく、バーやカフェ、売店を兼ねた施設であったが厳かさを感じずには、いられなかった。[ 続 ]...

2014
06

Чорнобиль одинадцять -チェルノブイリ 11- Кладовище заліза мовчання もの謂わぬ鉄の墓場

彼の有名な「船の墓場」は、年々船が水の中へと沈んで行っていると云う。二年程前チェルノブイリへ行った仲間に写真を見せたら「こんなに沈んだんだ」と驚いていた。遺棄された物々の寿命は、急速に加速する。原発事故当時、原子炉の中で使われた機械は、余りの線量の高さに活躍をする前に動かぬものとなった。名も無き鉄達は時の流れる儘朽ちるが儘に其処に在り続ける………ってのなら、実にロマンチックなのだけど…近年の鉄の高騰に...

2014
04

Чорнобиль десять -チェルノブイリ 10- Образ пожежників,Ликвидатор 消防士達の像、リクビダートル

ゾーン内には原発事故をテーマにしたモニュメントが至る所に展示してある。その中の一つに、「世界を救った人たち」と記された、消防士達を象った像がある。消火や放射能流出防止の為、事故直後に突入していった消防士たち。バルブを閉める人、放射線を測定する人、放射線の影響で吐き気をおこしうずくまる人、それを気遣う人。石像は、高線量の放射線の飛び交う中、放射線のことを知らされず無防備のままに作業にあたり、急性放射...

2014
30

Чорнобиль дев'ять -チェルノブイリ 9- Копачи деревня детский сад コパチ村の幼稚園2

コパチ村に唯一残された建築物の一つである幼稚園。(もう一つは役所らしい)中には子供達が描いた絵や、遊んだ玩具、ベッド等が残された儘になっている。ここもまた、訪れる誰かによって意図的にメッセージ性のある、残留物をセッティングされた痕跡が見受けられる。事故当時村には1114人程の人々が暮らしていた。事故の36時間後にプリピアチ市は知らせを受け約3万人が避難したが、コパチ村の人々が避難したのはそれからだ...

2014
25

Чорнобиль вісім -チェルノブイリ 8- Копачи деревня детский сад コパチ村の幼稚園

死もなく、悲しみもない。そこにはいのちの書に名が書かれている者だけが入ることが出来るチェルノブイリ原発から3〜4キロ離れた場所にあったコパチ村。事故後、村中の家屋や木々は壊され、土に埋められた。幼稚園は何故か取り壊されずに残されており、観光スポットの一つにもなっている。ガイドが指をさした道路から幼稚園に向かう小道の線量がかなり高く、未だ土壌は汚染された儘であると云う事が伺える。[ 続 ]...

2014
16

Чорнобиль сім -チェルノブイリ 7- колгосп コルホーズ

コルホーズ、とはソビエト連邦の集団農場のことである。勤労農民が自発的に連合して共同経営を行う団体と定義される、半官半民で協同組合に近い経営体系だ。全て国有であったソビエト連邦における大規模国営農場の事は、ソフホーズと云う。無料で提供された国有地を耕作を行った。主な農機具・家畜等は共有で、労働者は組合員としてコルホーズで農作業を行い賃金を得る。その生産物は政府に売却する組合組織による経営であった。各...

2014
09

Чорнобиль шість  -チェルノブイリ 6- Бетонозмішувальна завод セメント工場

チェルノブイリ原子力発電所の裏手の道を少し走ると、セメント工場の跡がある。当時は原発建設の為のコンクリートを製造していた工場だそうだ。事故後石棺を作る為のコンクリートを製造した工場とは別である。原子炉まで新たに鉄道を引いてコンクリートを運んだ…との事なので、もしかしたらナマズに餌をあげたあの橋の線路の先に、あるのかもしれない。とても小規模な工場だ。周辺には、そんな原発関連の施設が、未だ取り壊される...

2014
07

謹賀新年 -Щасливого нового року!-

新年、明けましておめでとう御座います。今年も何卒、よしなに。皆様にとってもよい一年になりますように。たぶん写真関係のお友達は各年始のお写真を撮りに走り、廃墟関係のお友達は暮れから明けにかけての遠征、地元のお友達はのんびりと…様々なお正月を過されるかと思います。無病息災、参りませう。そんな自分も恐らく暫く連絡つかないかと思われます。12月はなんやのかんやので年の中で一番撮影をして回っていたような気が...

2014
01

ジュリャーヌィ国際空港の飯が兎に角美味しかった。 ---Міжнародний аеропорт

星野です。師走です、例年の如く、師走です。息抜きにゆるりと美味しいものの写真を載せます(自分への癒しの為に…ジュリャーヌィ国際空港。どうやらキエフの中ではちょっとマイナーな空港のようで、「ん?何処にあるの?」なんて首をかしげる現地の方もいらっしゃいました。そこにあるとあるレストランのご飯が…うまい…うますぎる。パスタはメインディッシュ、まずはピザから(何故か姉様口調で何種類ものチーズを惜しみなくこれ...

2013
27

Чорнобиль ять -チェルノブイリ 5- людський,людський,людський 人なるかな、人なるかな、人なるかな

神の御座に上れ人なるかな、人なるかな、人なるかな子羊だけが封印を解くことのできる彼らは讃美をささげるひやり、と背筋に瘧のような悪寒を感じる。ここは、苦手だ。チェルノブイリ原発事故があり、その事故により生物達にどのような影響が出たか。放射能はどのように生物達に、影響を齎したのか。放射能はどのように生物達に、影響を齎すのか。その、研究所の、廃墟だ。魚類、鳥類、ほ乳類。様々な生物の研究を、していたとの事...

2013
17

Чорнобиль чотири -チェルノブイリ 4- Початкова школа в протигазі 小学校のガスマスク

チェルノブイリ原子力発電所より4キロ程離れた街、プリピアチ。プリピアチにある小学校の食堂の床には、夥しい数のガスマスクが散乱している。これらガスマスクは対テロ・対戦争に備え常備されているものだった。当時、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営とアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営との対立構造…冷戦の真っ只中であった。ガスマスクは対アメリカの為に用意されたものだったのだ。天井から...

2013
14

Чорнобиль три -チェルノブイリ 3- Церква Святого Іллі 聖エリアス教会

立入禁止区域内に、19世紀後半〜20世紀前半辺りに建てられた、現在唯一使われている教会・聖エリアス教会がある。老年の女性が管理しており、訪れる人も今では少ないが、自分たちのような外部からの観光客が訪れる場所の一つにもなっている。毎年4月26日には、原発事故の追悼式が行われる。今でも、ここで結婚式も行われる事があるらしい。元々ウクライナには多神教や自然崇拝を行う部族が暮らしていたが(日本で云う神道や...

2013
12

「私がこの世で我慢ならんものが二つある。一つは冷えたブリヌイ、そして…」

…冷えたワレニキだ。か、どうかは知らないが取り敢えずブリヌイとは直径13cmから18cm位の薄いクレープ又はパンケーキのような食べ物である。ブリヌイを専門とするファーストフード店もあるらしいので、いつか、いつかは食べてみたい。ある日ある時ある曜日の、あるレストランにて。まずは、サラダから。ピクルス、ザワークラウト、パセリ…てんこ盛り。ピクルスの酸味がかなりパンチが効いている。幸。お芋や茸が入ったキツネ色のス...

2013
10

Чорнобиль два -チェルノブイリ 2- ナマズ…そして四号炉

チェルノブイリについて何か調べたり聞いたりしたのであらば、必ずと言って知っているだろう、「巨大ナマズ」の存在。「放射能の影響で巨大化した」「放射能の影響を調べる為飼っている」諸々諸説はあるみたいだが、川の中で特に捕食者もおらず食物連鎖の頂点に立っている為のびのび育っているだけだ、と云う説が一番有力との事。チェルノブイリ4号炉に隣接する河川流域にある橋の上から、そのナマズ達に餌をあげる事が出来る。売...

2013
08

Чорнобиль нуль -チェルノブイリ 1- ニガヨモギの星公園

チェルノブイリ。と、一般的な私たちの認識の“チェルノブイリ”とは、原発から30km圏内の“ゾーン”…チェルノブイリ立入禁止区域の事を指す。30km地点で線量計に示された数値は0.14マイクロシーベルト。この数値、原発より50km離れた郡山市より、60km離れた福島市より低い事には少し驚いた。(勿論、測定箇所によります。自分の通っていた学校周辺や実家周辺はこれより低かった)30kmチェックポイント“ディチャトキ”で手続...

2013
06

ボルシチはメインディッシュ、まずはマカロニから。

好きです、ボルシチ。其れがロシア料理ではなくウクライナ料理であると知ったのは今年8月。日本で云うお味噌汁のような存在。近世以後、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ロシアなどの東欧諸国に普及。現在東欧文化圏のほかに、中央ヨーロッパ、ギリシャ、イランや北米在住の東欧系ユダヤ人によっても作られており、多くの国で世界三大スープとして愛されている。(他にトムヤンクン・ブイヤ...

2013
04

Національний музей Чорнобиль -チェルノブイリ博物館 3-

さて、博物館でも一際印象深いこちらメインホール。入り口からして取り敢えず、ぶっとんでいる。扉は聖障を象っており、教会をイメージした造りである。右に配置されるは放射線防護服。左には聖ガブリエルのイコン。防護服は当時のソ連書記長であったミハイル・ゴルバチョフを表し、その名は聖ミカエルに繋がる。ロシア正教のシンボルと原発事故のイメージを交えた作りだ。(…この人は誰でしょうね…)上を見上げると原子炉素材で世...

2013
02

Національний музей Чорнобиль -チェルノブイリ博物館 2-

チェルノブイリ博物館の二階では常設展が行われている。その展示がちょっと変わっているというか、かなり変わっているものが多い。ライティング、バッシバッシ色が変わる。ド派手に変わる。資料的な意味合いの展示ではなく、視覚的感覚的そして宗教的にガスガス攻めて来る展示が、多いのだ。日本では余り見られないタイプの展示の仕方だと思った。博物館、と云う堅苦しい感じが全くしない。ジオラマ、立体地図、写真、事故当時の文...

2013
30

Національний музей Чорнобиль -チェルノブイリ博物館 1-

キエフの中心街、コントラクトーヴァ・プローシュチャ駅すぐの所に、...

2013
28

Чорнобиль нуль -チェルノブイリ 0- Передмова 緒言

廃墟を撮り出した頃、そこはいつか行きたい「廃墟の聖地」だと思っていた。何も考えず、ただただに、ぼんやりと。時は流れ2011年3月11日。その日から、そこは自分の中で廃墟の聖地とは言い難い地となった。心の中に引っかかるのはいつも故郷の事だった。様々な複雑な想いが交錯する。でも、それでも行こう、と。そう思った。チェルノブイリ。ウクライナの首都キエフの北方、キエフ州に位置する。1986年4月26日に発生したチェルノブ...

2013
26