赤坎鎮 4
堤西路旧民居(欧陸風景一条街)。赤坎鎮は、広東省の文物保護単位(指定文化財)にもなっている。堤西路の建物は1920年代から1930年代にかけて米国より帰国した華僑人らによって建てられた。帰国した華僑人が海外で見てきた建物を模して建てたのだ。建築材料は海外から香港経由で輸入したらしい。潭江には上埠橋と下埠橋という橋があり下埠橋を境に東側を堤東、西側を堤西と言う。観光客は少なく、のんびりと街中を歩き回り、建築...
赤坎鎮 3
赤坎鎮、全体的に煤けた味のある建築物が密集する街である。裏道に入るとより一層煤けていて、歩いているだけで気持ちがほっと落ち着いて来る。メインストリートの川に沿った街並も美しいけれど、深みのある下町の方がやはり、惹かれるものがある。道々にはマスクをし箒で掃き掃除をするおばちゃんがいるけれど、全然綺麗になっていない。奇声をあげながら大きな道の左右めいっぱいふらふらと突き進む頭がこったんにおっさんとか。...
赤坎鎮 2
碉楼の街並みが残るこの古鎮の一角に、赤坎影視城という映画の舞台となった場所がある。既存の街を改修して19世紀末から20世紀初の街並みを再現し、撮影に利用したようだ。香港映画のロケ地にも赤坎鎮はなっている。此方は20元を払い見学出来る。でも、やっぱり映画舞台として手を加えられた建築物より、生きたナマの赤坎鎮の方が断然魅力を感じるな。[ 続 ]...
赤坎鎮 1
明らかに酒臭いバイタクのおっちゃんの後ろに、ヘルメットを渡される事なく乗り暫し風を切る。舗装されていない道路は土煙が舞い、交通量の多い道路では思わず咳き込みそうになる。畦道や人気の無い道は、気持ちがいいのだけど。ふらり、赤坎鎮と云う街へ着いた。腹はすっかり空きっ腹だった筈なのに、たった一杯の豆腐花のみで、胃袋が満足してしまった。何だろう、炒飯老麺点心排骨、肉肉しく油ぎった全力のカロリーを摂取したか...
開平碉楼 窮
干戈彙飛去 遊子の安寧天楼に在り人が去りし今も尚、村々に根付くその楼閣。ただただに、ただただに在り続ける。楼閣の歴史は、古いかと思いきや比較的新しい。清朝末期(アヘン戦争(1840〜1842年)後)黒人奴隷が廃止されていく時代背景下にあった。アメリカ、カナダの西部大開発に伴い、ゴールドラッシュと大陸横断鉄道の建造に大量の労働力を必要とするようになり、黒人奴隷に代わる廉価な労働力を求めた。同時期、開平地区で...
開平碉楼 拾
眠れる机器人邀撃つ鵝はひよりひよ東和村にある、1918年に建てられた望楼。形が机器人(ロボット)に似ているので「机器人楼(ロボット楼)」と言われているとの事。村はのんびりとしており、お年寄りの姿が多く目立った。青梗菜が大量に天日干しされている光景は、なかなかに威圧感がある。鶏も犬も、何処も放し飼い。ついでにガチョウものんきに歩き回っていた。[ 続 ]...
開平碉楼 漆
亖眸は地を越え山を越え時を越え1920年に建てられた匪賊の監視用の更楼。強亜村の方氏一族と華僑が共同出資をして建築した。1−3階は食堂と居住部、4階5階は見張り台。探照灯、銃器類、サイレン等が完備されていたと云う。建築当初は古渓楼と云う名称で呼ばれていた。村からぽつんと離れた所に建っており、役目を終えた今でも佇み続けている。[ 続 ]...
開平碉楼 伍
忘らるる坤霊を歴覧すお腹空いたな…でも食堂もないな…道ばたで売ってるゆで卵は大丈夫だろうけどお腹壊したらやばいしな…。非常食にと買っておいたパンを齧りぽくぽく歩いていたら、前方からちょこちょことおじさんがやってきた。「あそこにも楼閣があるよ」と言っているみたいだ。前住碉楼、岐岭村大楼。現存する望楼は1833棟と言われている。何故この地に望楼が次々と建てられたか。それはまた、別な機会に。[ 続 ]...
開平碉楼 肆
丹華の塔は瑣霧の向こうに「開平版ピサの斜塔」と呼ばれているらしい、通称「斜楼」。周りの村々、現地の人間でも知らない人は割と多い。観光地からも、雑踏な街からも離れ、地元の人間しか通らないような細道をバイタクの後ろに乗り走る。ヘルメットなんて用意されていない。夕暮れ近い心地よい風。そのまま、カメラを掲げ、走り去る侭にシャッターを切りながら。[ 続 ]...
新年快樂!
新年快樂!中国や華僑圏では31日から春節(旧正月)を迎えます。そんなわけで、開平碉楼、公開です。にょこにょこアップしていきます。(頭隠れず…尻丸出し…なわけはない…)[ 続 ]...