SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル写真ブログ。

うつろいゆく都市・大連 -文化台を散策する-

日本統治下の情景に憶いを馳せつつ、文化台の散策を続ける。日露戦争後の1905年から1945年の終戦まで、日本が統治した大連。嘗ての日本人街が全て、真新しい高層ビルで埋め尽くされる日も、遠くないのかもしれない。スクラップ&ビルドを繰り返し、大連に限らず、亜細亜は今後も終わりのない発展を遂げていくだろう。新たな光を生み、新たな影を生み、終わりのない絶望と共に。...

2016
21

うつろいゆく都市・大連 -文化台に残る日本人街の痕跡-

興亡盛衰。高台に並ぶ一戸建ての住宅。大連を代表する景勝地として知られる老虎灘へ向かう、解放路沿いの高台にある嘗ての日本人街。それが文化台だ。中国の中央政府が着手した「東北振興」政策。それは古き良き大連の景観を次々と破壊していく事となる。…ヤギ?この時、2015年5月。二度目の中国、初めての満州時代に触れる旅に鼓動の高鳴りを隠せなかった。今思えば、不用意に道端に叩き出されたゴミ、家具が、やたらと多か...

2016
18

うつろいゆく大都市・大連 -消え去るロシア人街-

此処も、時と共に消えるのか。大連駅の北側に位置する、旧ロシア街。帝政ロシア時代の行政区跡地で、多くのロシア人が住んだことからそう呼ばれている。ロシア風情街の一番奥のロータリーのど真ん中に構えるは、満州資源館。当初はこの付近を建築したロシアの会社である東清鉄道事務所が1902年に初代の大連市役所となった。そして日本統治後の1907年に東京から移転した満鉄の本社となり、満鉄の本社が1908年に現在の魯迅路に移転後...

2016
01

うつろいゆく大都市・大連

遼寧省の先端、渤海に突き出るクチバシのように位置する都市・大連。遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。北東アジア国際港運センターとして急速に発展を遂げており、北の香港とも呼ばれている。帝政ロシア時代の行政区跡地で多くのロシア人が住んでいた歴史、そして満洲国領でもあった大連は、独特の雰囲気の町並みだ。ここ、旧大和ホテルこと大連賓館は100年の歴史を持つ古き良きホテルだ。(実際に泊まったけど、歴史...

2016
22

中国で一番危険な街?!東莞(ドンガン)にある廃れの極みのショッピングモール、華南MALL。そういえば2013年に行ってた。

ふと思い出し。行った時刻も時刻だったので薄暗い写真しかないしなと思ったけどいちよう記事に残す。タクシーの運転手に罵倒されたり明らかにバスの停留所じゃない意味不明の場所に放り投げ出されたり色々ありましたがぬるりと辿り着いた華南MALL。当時インターネットを賑わせたゴーストショッピングモール。ちょっと近場に行く用事があったので行こうと目論んだのでした。外観を見るや否や、同志と共に「意外と生きてるね」。“生...

2016
21

満州国は黄金郷の夢を見たか 2

「俺も行くから君も行け、狭い日本にゃ住み飽きた。海の彼方にゃ支那がある、支那にゃ四億の民が待つ。」大正から昭和にかけて日本全国青年の満州大陸への憧れの血潮を咲かせた革命歌。大志を抱き満州へ渡った若者たちが、どれだけいた事だろう。当時日本は米国から石油・屑鉄、工作機械などを買入れて備蓄するための決済手段として「金」が必要だった。朝鮮北部の山岳地帯には金鉱の埋蔵量が多かった為、大企業の日本鉱業や中企業...

2016
29

満州国は黄金郷の夢を見たか

日本で満洲と呼ばれる地域は、満洲国の建てられた地域全体を指す事が多い。中国東北地方にある遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。とある場所に、満州時代の金鉱山の選鉱所の跡がある。現在辺りは開発が進み、古い街並は取り壊され真新しい高層ビルが立ち並びつつある。古くの主要都市から新しい場所へ、都市機能を移行しようとしているのだ。...

2016
23

喪鷹窩 肆 - 東莞東江水泥廠 -

まがふようもの律林蹐櫃東莞東江水泥廠。中国南部にあるこの廃墟と化したセメント工場は、1988年に運転開始したものだった。その時代で最新の油圧機械垂直窯や機器施設を兼ね揃え、コンクリートの生産量は年間44000トンに達したという。しかし約10年で企業経営困難に陥り巨額の負債を抱える事となる。2004年には工場は閉鎖、以後廃墟となる。友人が偶然見た中国(香港?)映画のロケ地ともなっていた為、そういったものにも活用さ...

2015
11

喪鷹窩 参 - 東莞東江水泥廠 -

鷹の眸は待ち続ける[ 続 ]...

2014
30

赤坎鎮 4

堤西路旧民居(欧陸風景一条街)。赤坎鎮は、広東省の文物保護単位(指定文化財)にもなっている。堤西路の建物は1920年代から1930年代にかけて米国より帰国した華僑人らによって建てられた。帰国した華僑人が海外で見てきた建物を模して建てたのだ。建築材料は海外から香港経由で輸入したらしい。潭江には上埠橋と下埠橋という橋があり下埠橋を境に東側を堤東、西側を堤西と言う。観光客は少なく、のんびりと街中を歩き回り、建築...

2014
29

赤坎鎮 3

赤坎鎮、全体的に煤けた味のある建築物が密集する街である。裏道に入るとより一層煤けていて、歩いているだけで気持ちがほっと落ち着いて来る。メインストリートの川に沿った街並も美しいけれど、深みのある下町の方がやはり、惹かれるものがある。道々にはマスクをし箒で掃き掃除をするおばちゃんがいるけれど、全然綺麗になっていない。奇声をあげながら大きな道の左右めいっぱいふらふらと突き進む頭がこったんにおっさんとか。...

2014
28

赤坎鎮 2

碉楼の街並みが残るこの古鎮の一角に、赤坎影視城という映画の舞台となった場所がある。既存の街を改修して19世紀末から20世紀初の街並みを再現し、撮影に利用したようだ。香港映画のロケ地にも赤坎鎮はなっている。此方は20元を払い見学出来る。でも、やっぱり映画舞台として手を加えられた建築物より、生きたナマの赤坎鎮の方が断然魅力を感じるな。[ 続 ]...

2014
27

赤坎鎮 1

明らかに酒臭いバイタクのおっちゃんの後ろに、ヘルメットを渡される事なく乗り暫し風を切る。舗装されていない道路は土煙が舞い、交通量の多い道路では思わず咳き込みそうになる。畦道や人気の無い道は、気持ちがいいのだけど。ふらり、赤坎鎮と云う街へ着いた。腹はすっかり空きっ腹だった筈なのに、たった一杯の豆腐花のみで、胃袋が満足してしまった。何だろう、炒飯老麺点心排骨、肉肉しく油ぎった全力のカロリーを摂取したか...

2014
26
2014
17