天空の遺跡 プレアヴィヒア - Preah Vihear Temple -
プレアヴィヒア寺院。カンボジアとタイ王国国境にあるダンレク山地内の、カンボジア王国領内(プレアヴィヒア州)に位置するヒンドゥー教寺院だ。2008年7月7日に世界遺産に登録されたが7月中旬、タイ人3名がプレアヴィヒア寺院に不法侵入したとしてカンボジア側に拘束、衝突が起きた。2011年にも交戦があり避難民が数千人発生、双方に民間人を含め数十人の死傷者が出る事態となった。現在状況は落ち着いているが、緊迫した状況は未...
紅き遺跡 バンテアイ・スレイ - Banteay Srei -
バンテアイ・スレイ。アンコール・ワットの北東部に位置するアンコール遺跡の一つだ。ヒンドゥー教の寺院遺跡で、大部分が赤い砂岩により建造されている。踏みしめるその大地も、赤土だ。…取り敢えず昼食から。フライドヌードルに、フルーツのミルクシェイク。平麺で美味しい。ざくざく野菜、味付けは甘塩っぱい優しいものだった。バンテアイは砦、スレイは女。バンテアイ・スレイとは「女の砦」という意味だ。アンコール朝の衰退...
石の重み、時の重み タ・プローム - Ta Prohm -
カラリとしたカンボジアの乾季は、夏嫌いの私でも心地が良いものだ。日本のような纏わり付くような湿気とは縁皆無、長袖で過ごしていて実に快適である。空は晴れ渡るも空気はやや土埃のにおい。タ・プローム。アンコール遺跡群と呼ばれる多くの寺院や宮殿などの遺跡群の内のひとつ。12世紀末に仏教寺院として建立され後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている。映画「トゥーム・レイダー」と「トゥー・ブラザーズ」の撮影...
コーケー遺跡と夜のシェムリアップ
カンボジア北部・シェムリアップに点在する遺跡を全て巡るのはなかなかの時間と労力がいる。(が、勿論楽しい)遺跡巡りの昼食は大体フライドライスかヌードルだった(いや、夕食もか…シンプルで飽きのこない味。シェムリアップから北東へ約120km行ったところに、コーケー遺跡はある。この地には928年から944年頃までアンコール地方から王都が移されていた。王の死後再びアンコールに王都を戻し、その後放棄された。遺跡群はプラサ...
プリヤ・カーン - Preah Khan -
プリヤ・カーン。アンコール遺跡の一つで、その名は「聖なる剣」を意味している。仏教とヒンドゥー教の習合寺院。嘗て寺院には千人以上の僧侶が住み、それを支える荘園が与えられていた。そこで97,840人が暮らしていたという。廃墟の遺跡となった今ではなかなか想像もつかない。溶樹の繁殖や彫像の盗難による損壊が大きく、今も修復が行われているが、その生命力の象徴のような樹木の侵食は見る人見る人を魅了して止まないに違いな...
カンボジアのバゲットサンド・ヌンパンの美味しさが突き抜けていた夜
前回カンボジアで、食べそびれたものがある。それは、ヌンパン。カンボジアのバゲットサンド(カスクルート)で、フランスパンにお店によって異なる様々な具が挟まれている。「なんかパン売ってるなーでもカンボジアに来てまでパンかー別にいいや」と前回完全スルーしていた自分を呪う。どうやらそれは、とても美味しいらしいのだ。この日は12月31日。2017年へのカウントダウンだった。テンション高く街へと繰り出す人々で溢れかえ...
アンコールワット - Angkor Wat -
地雷を踏んだら、その時は、さようなら。その言葉に惚れ、私はその人に、地に、憧れた。アンコールワットでの初日の出。気持ち良く晴れ渡る朝。嗚呼、なんと贅沢な事だろう。アンコールワット。大伽藍と美しい彫刻を特徴としクメール建築の傑作とされ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれているヒンドゥー教寺院建築だ。世界遺産の為訪れる人も多い。勿論、初日の出を観に来る人たちも。正直こんなに多いと思わなかっ...
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 3
トゥール・スレン、飛び飛びの更新になってすみませぬ。前回の記事はこちらから→S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 1S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 21976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不必要」という理由で医者や弁護士などの知識人をはじめ罪のない人々を次々と捕まえ、当時無人だった学校を収容所に転用した。2年9ヶ月の間14000~20000人の人々が収容されたとされるが、生還したのはたったの8名だった。人...
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 2
前回の記事からかなり間が空いてしまってすみません(当ブログではよくある話し)。今現在は平和そのものカンボジア。この平和を勝ち取る為に大きな困難と苦難と受難を、乗り越えてきた国であります。続きです。トゥール・スレンは、元々学校だったものを収容所とした施設だ。ポルポト政権(1975年4月~1979年1月)が断行した極端な共産主義により、カンボジアでは百万とも二百万とも言われる人々が命を落とす事となった。ポルポト...
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 1
S21は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無いと言われている。プノンペンの街のど真ん中に、それはある。唐突に。当たり前のように。平然と。何故ならそれもその筈、元々収容所は、学校だったのだ。予々話しには聞いていた。ネット上で写真も見ていた。でも、こうして自らの足で...
カンボジア南部・ケップの街
なんとなく、ゆっくりしたいな。そう思い立ち、カンボジア南部にあるケップという小さな海の街へ足を運んだ。これと言って、ナニがあると言うわけでもない。寧ろナニもないかもしれない。蟹が有名で、白い砂浜のビーチがある、海産物が美味しい海のバカンスの街。昔、フランス統治下の時代はフランス人達の別荘が建ち並び賑わっていたが、ポルポトの時代に全て廃れてしまった。でも、いい街だ。お隣カンポットはドリアンと胡椒が有...
The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 5
その1。その2。その3。その4。キリングフィールドの敷地内は、慰霊塔の他には真新しい建物等はこれと言ってない。ただただに、当時の儘残され、保存されている。何も言わなければ、凄惨な歴史のある場所だったなんてきっと知る由もない。約35年前、たった35年前にあった、暗黒の時代。父は、あの頃のカンボジアは本当に凄かったと言う。もしその時代に生まれ生きていたなら、私はその場所に、行きたかった。命の保証は無い...
The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 4
その1。その2。その3。硝子ケースに、何が入っているのか…近づいてみると。衣類だ…処刑された人達の、衣類が入っていた。連れて行かれた人間は、強制的に上下黒色の簡素な衣服に着替えさせられた。ケースの上には、人骨や歯が無造作に置かれている。暫し眺めていると、ちょろちょろと蜥蜴の類いが這って行った。別な硝子ケースには、大量の人骨が入れられていた。大人も子供も、無差別に殺された。殺戮に手を掛けたクメール・ル...
The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 3
その1。その2。キリングフィールドの敷地内に、通称「キリングツリー」と呼ばれている木がある。木の幹にはびっちりと、布製の腕飾りが付けられている。木の周りにも、夥しい数の腕飾りが寄せ集められている。この木は、子供を打ち付けて殺す為に使用された木だ。空に目一杯手を広げるように大きくのびる枝からは、優しく力強い生命力を感じる。そんな、呪われし経緯がある等、予想だに出来ない木だ。木に隣接するのは、遺体安置...
The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 2
前回の記事はこちらからどうぞ。チュンエクのキリングフィールド内に入るとまず目の前に見えて来るのが、慰霊塔である。入り口の事務所にて、日本語用ヘッドセッドを無料で借り、案内板に書かれた番号のボタンを押すと、解説が流れるようになっている。慰霊塔の内部は。圧倒的な数の、遺骨が、硝子ケースにみっちり詰められ、高く高く高く、積み上げられている。足下には、収容された人々が纏っていた衣服や、拷問道具の展示、御丁...
The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 1
ダークツーリズム(Dark tourism)、という言葉がある。日本では東浩紀らが『福島第一原発観光地化計画』を刊行した事で広く知られるようになった言葉だ。(実際に自分も、その本を通して知った)災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした“負の遺産”を観光する事だ。観光、と聞くと軽くて遊びのように感じその娯楽性のある響きに不快感を覚える方もきっと多いと思うが、ここでのツーリズムは悪魔でも学びの場である...
ドリアンはガチで美味い。
ドリアン。アオイ科に属する樹木。また、その果実。学名のDurio=ドリアン属であり、このラテン語のもとになったdurianという言葉は、もともとマレー語で、刺(duri: ドリ)を持つものという意味である。また、種名のzibethinusというのは、「麝香の香りを持つ」という意味の形容詞である。合わせて、麝香の香りを持ち、針を持つものという意味になる。マレー語ではドリアン。タイ語ではトゥリアン (ทุเรียน)。北京語で榴蓮(liúli...
柬蒲の黄昏 -プノン・チソール- 3
並皆佳妙、夕闇の微笑11世紀、プレアンコール時代にラーダーヤーヴァルマン一世によって建立されたクメール遺跡の一つ、プノン・チソール。1930年代に修復されたが傷みは激しく、今にも崩れそうな箇所や既に崩れている箇所ばかりだ。辿り着いた頃には日の暮れかける午後6時前。800段もの階段を休憩無しに一気に駆け上がり、山上の遺跡へ走って行った。息が上がっても絶え間なく汗が流れても疲労感が襲ってもそんな事どうでもい...
柬蒲の黄昏 -プノン・チソール- 1
毛施淑姿、黄昏に消えゆ上京したばかりの頃、恋人ととある写真展を見に行った時一之瀬泰造の写真集がそのギャラリーに置いてあった。本を捲りながら彼奴は「俺は写真なんてよく分からないし芸術も何も興味無いけど、でも、一之瀬泰造の写真だけは好きなんだ」と言った。程なくして一之瀬氏の著書を借り、転げ落ちるようにハマりその人柄、写真の魅力に引きずり込まれていった。当時は私も写真なんてやっていなかったけど、なんだろ...
法蘭西統治栄枯渇水 伍 廃病院
薄墓冥命 醫の道は潰え去る此処は嘗て、病院だった。海に沿う穏やかな田舎町・ケップは、20世紀初頭フランス統治下以降フランス人の別荘が数多く建てられた場所だ。彼の悪名高いポル・ポト派の闇に飲まれゆく迄、この病院は使われていたと云う。ポル・ポト亡き今、惺のように青い空の下、朽ち果てた廃墟には植物が浸食し、荒れるが侭ただただに崩壊に身を任せている。[ 続 ]...
【若干閲覧注意】究極の美食…?【最初は美食しかし最後が寄食】
アジアの飯は、総じて、美味い。ここ、カンボジアもその法則に倣いやはり飯が美味い。が、人によっては「中途半端」「タイ料理に近いけどパンチが足りない」等と物足りなさを覚える方もいるようだ。日本人の舌が肥え過ぎているのだよ。↑こちらはとあるツアーの時に配給されたお弁当。焼き肉と目玉焼きに米という至ってシンプルなもの。私だけ青パパイヤのサラダこっそりおまけして貰っちゃった…「内緒だよ」とチャーミングなお兄さ...