SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル写真ブログ。

S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 3

トゥール・スレン、飛び飛びの更新になってすみませぬ。前回の記事はこちらから→S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 1S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 21976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不必要」という理由で医者や弁護士などの知識人をはじめ罪のない人々を次々と捕まえ、当時無人だった学校を収容所に転用した。2年9ヶ月の間14000~20000人の人々が収容されたとされるが、生還したのはたったの8名だった。人...

2015
17

S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 2

前回の記事からかなり間が空いてしまってすみません(当ブログではよくある話し)。今現在は平和そのものカンボジア。この平和を勝ち取る為に大きな困難と苦難と受難を、乗り越えてきた国であります。続きです。トゥール・スレンは、元々学校だったものを収容所とした施設だ。ポルポト政権(1975年4月~1979年1月)が断行した極端な共産主義により、カンボジアでは百万とも二百万とも言われる人々が命を落とす事となった。ポルポト...

2015
01

S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 1

S21は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無いと言われている。プノンペンの街のど真ん中に、それはある。唐突に。当たり前のように。平然と。何故ならそれもその筈、元々収容所は、学校だったのだ。予々話しには聞いていた。ネット上で写真も見ていた。でも、こうして自らの足で...

2015
10

The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 5

その1。その2。その3。その4。キリングフィールドの敷地内は、慰霊塔の他には真新しい建物等はこれと言ってない。ただただに、当時の儘残され、保存されている。何も言わなければ、凄惨な歴史のある場所だったなんてきっと知る由もない。約35年前、たった35年前にあった、暗黒の時代。父は、あの頃のカンボジアは本当に凄かったと言う。もしその時代に生まれ生きていたなら、私はその場所に、行きたかった。命の保証は無い...

2014
06

The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 4

その1。その2。その3。硝子ケースに、何が入っているのか…近づいてみると。衣類だ…処刑された人達の、衣類が入っていた。連れて行かれた人間は、強制的に上下黒色の簡素な衣服に着替えさせられた。ケースの上には、人骨や歯が無造作に置かれている。暫し眺めていると、ちょろちょろと蜥蜴の類いが這って行った。別な硝子ケースには、大量の人骨が入れられていた。大人も子供も、無差別に殺された。殺戮に手を掛けたクメール・ル...

2014
04

The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 3

その1。その2。キリングフィールドの敷地内に、通称「キリングツリー」と呼ばれている木がある。木の幹にはびっちりと、布製の腕飾りが付けられている。木の周りにも、夥しい数の腕飾りが寄せ集められている。この木は、子供を打ち付けて殺す為に使用された木だ。空に目一杯手を広げるように大きくのびる枝からは、優しく力強い生命力を感じる。そんな、呪われし経緯がある等、予想だに出来ない木だ。木に隣接するのは、遺体安置...

2014
02

The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 2

前回の記事はこちらからどうぞ。チュンエクのキリングフィールド内に入るとまず目の前に見えて来るのが、慰霊塔である。入り口の事務所にて、日本語用ヘッドセッドを無料で借り、案内板に書かれた番号のボタンを押すと、解説が流れるようになっている。慰霊塔の内部は。圧倒的な数の、遺骨が、硝子ケースにみっちり詰められ、高く高く高く、積み上げられている。足下には、収容された人々が纏っていた衣服や、拷問道具の展示、御丁...

2014
31

The Killing Fields -キリング・フィールド (チュンエク)- 1

ダークツーリズム(Dark tourism)、という言葉がある。日本では東浩紀らが『福島第一原発観光地化計画』を刊行した事で広く知られるようになった言葉だ。(実際に自分も、その本を通して知った)災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした“負の遺産”を観光する事だ。観光、と聞くと軽くて遊びのように感じその娯楽性のある響きに不快感を覚える方もきっと多いと思うが、ここでのツーリズムは悪魔でも学びの場である...

2014
28

柬蒲の黄昏 -プノン・チソール- 3

並皆佳妙、夕闇の微笑11世紀、プレアンコール時代にラーダーヤーヴァルマン一世によって建立されたクメール遺跡の一つ、プノン・チソール。1930年代に修復されたが傷みは激しく、今にも崩れそうな箇所や既に崩れている箇所ばかりだ。辿り着いた頃には日の暮れかける午後6時前。800段もの階段を休憩無しに一気に駆け上がり、山上の遺跡へ走って行った。息が上がっても絶え間なく汗が流れても疲労感が襲ってもそんな事どうでもい...

2014
23

柬蒲の黄昏 -プノン・チソール- 2

工顰妍笑、夜風吹く[ 続 ]...

2014
21

柬蒲の黄昏 -プノン・チソール- 1

毛施淑姿、黄昏に消えゆ上京したばかりの頃、恋人ととある写真展を見に行った時一之瀬泰造の写真集がそのギャラリーに置いてあった。本を捲りながら彼奴は「俺は写真なんてよく分からないし芸術も何も興味無いけど、でも、一之瀬泰造の写真だけは好きなんだ」と言った。程なくして一之瀬氏の著書を借り、転げ落ちるようにハマりその人柄、写真の魅力に引きずり込まれていった。当時は私も写真なんてやっていなかったけど、なんだろ...

2014
18