見本市会場から強制収容所へ…スタロ・サイミシュテ - From The Fairgrounds to Complex Sajmište concentration camp ..." Staro Sajmište " in Beograd -
ベオグラードの街中には、第二次世界大戦中のバンカーが密やかに残っていたりする。生活風景に溶け込んだ何気ない景色の一角に、意識して着目しないと気がつかないような草むらの奥に。ひっそり、こっそりと。そんなバンカーを覗いた後、バスを乗り降りぽてぽてのんびり歩いてやってきたのがここだった。ここ…ベオグラードの中心部だよね…?中心部とは言ってもロマが野宿していたりなんか煤けた道路歩いてるなと思いながら歩いては...
コソボの年末 - Year end of Kosovo -
2018年12月末。私はコソボにいた。年越しはコソボでしたい。そんな夢を抱いていた。大した夢でもないしくだらない事かもしれないけど、それでも自分の夢である事には変わりない。コソボへの入国は、本当に散々だった。予定していたバスは年末の為か運行しておらず、予定より5時間後に来るバスでコソボへ。席番が割り当てられていたが余り意味をなさなかった。満員どころか立ち乗り客、下の荷物入れからは犬の鳴き声がする…。クゥ〜...
コソボの国立図書館と廃墟と化したセルビア正教会 - Pristina National Library & The Abandoned Serbian Orthodox Church -
コソボの冬の夜明けは、静かにゆっくり訪れる。廃墟化したセルビア正教会。コソボ共和国に住むのは殆どがアルバニア系の住人で、イスラム教。セルビア系の住人は、コソボ紛争の締結後殆どが「民族浄化」の結果コソボを追われる事となった。旧市街地を抜け新市街地へ…大通りを歩いて行くと一際目を引く不思議な建物がある。国立図書館だ。箱が連なり、蔦が這うかのような奇抜なデザイン。ビザンチン建築とイスラム様式の融合、そし...
遺棄されたコソボの遊園地 - The Abandoned Amusement Park in Kosovo -
コソボを散歩していたら、偶然遺棄された遊園地に遭遇した。ここがどうして廃墟化したのか。それは今の所分かっていない。ただ「2004」年で止まっているように伺える事から、2004年3月に勃発したコソボ暴動による影響で遺棄されるに至ったのかもしれない…。それか、同名の遊園地がそう遠くない場所にある事から単なる移転か。冬も夏も変わらず草木が生いしげり手入れされる事もなければ荒らされる事もない。小規模だが可愛らしい遊...
ベオグラード散歩 2 - Take a walk in Belgrade , Peaceful daily urban exploration -
セルビアは肉料理が美味い。地元で人気のレストラン、と言われているお店へとやってきた。目的はピェスカビツァ。セルビアのハンバーグだ。普段は絶対に飲まないコーラも、旅先だと何故か欲しくなる。パプリカを丸ごとオリーブオイルとにんにく、お酢で漬け込んだもの。驚く程美味しい……これだけでパン何個なくなるだろうって位美味しい……。お土産として売っている場所もあり買うか買わまいかとても悩んだ。ふっくら素朴で美味しい...
ベオグラード散歩 - Take a walk in Belgrade , Peaceful daily urban exploration -
コソボから北上し、ベオグラードへやって来た。仄かな憧れを抱く街のひとつだった。華美な西欧より、美しくも何処か煤けた東欧の方が性に合う。なんだろう、日本も西より東、東京でも西より東に焦がれる傾向がある。さてこの日はダラダラと街歩き。真冬であるはずだが思いの外暖かく、歩いていると上着があると汗ばむほどだった。雪景色を期待していたがことごとく外れだったが、雪の未承認国家で猛吹雪すぎて国から出られなくなっ...
旧ユーゴスラビアの列車の墓場 - Train Graveyard in Yugoslavia -
冬の晴れ空の下。こんなにもセルビアの冬とは暖かなのか?いや、あの時はどの雪国も何故か暖かすぎた。暑い暑いと言いながら、羽織るジャケットを鞄にしまい歩みを進める。目の前に見えてくる地下道入り口。そのすぐ奥にあるゴミ溜めのような掃き溜め。ジプシーの村だ。こちらではロマと呼ばれているが日本人にはジプシーという名称の方がしっくりくるかもしれない。ロマは、こちらに気がつくとロマの言葉で激しく罵倒してきた。老...
幽幻なる未来から時を超えて…コスマジ・モニュメント - Kosmaj Monument -
スポメニック(Spomenik)。それは旧ユーゴスラビア時代建てられた戦争記念碑。未来から時を超えてきたのかと思わせるようなサイエンス・フィクション的ビジュアル。これらは戦争の悲惨さ、自由の尊さを現している。遺棄されたかのように見えるが、一応記念公園だ。コスマジ・モニュメントの作者は未だ不明だ。1970年に造られたその記念碑は第二次世界大戦の時戦いしパルチザンの英雄たちを慰霊するものだ。1941年から1945年まで、...
ブバンジュ記念公園、3つの拳の記念碑 - The Three Fists Monument is in Bubanj Memorial Park of Nis -
太陽が登る前に、私は始発のバスに乗り国境を越えた。パスポートコントロールで一旦降ろされ、スタンプを押してもらうも外に出たらバスがいない。何処だ!隣国のゲートの手前までバスは走っていた。お願い、待っていてください、不安になっちゃうよ。居合わせていた中国人の青年は何故かパスポートを返して貰えず青ざめた顔をしていたが、なんとかなったようだ。約4時間の移動を経て、私はセルビアの古都・ニシュへとやって来た。...