SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

3.11から5年

14時46分。ひとり静かに黙祷する。周りの人間は誰一人として3.11等気に留めない。いつも通りの日常が喧しく流れゆく。それはきっと、幸せな事なのだろう。白い惚けた嫌でも目に見える日常。メールで、LINEで、友人達とあの頃の話をする。“フクシマ”は刻一刻と変わりゆく。当事者じゃなければ分からない痛みがある。分かって欲しくても分かって貰えるわけがない痛みもある。寄り添う、という事に対しても、色々思う事はある。考えて...

2016
11

夏空に秋挿す

人と共存して生きてきた物々、人のいとなみが消えた街。また一つ季節は巡る。故郷の隣でそれは繰り返す。中通りにいると、沸かない実感。※警戒区内の写真は、全て許可を申請して撮ったものです。...

2015
17

8月15日。

8月15日。日本終戦の日。日本終戦から2年後の同日、インドが独立する。インド独立から1年後、大韓民国が成立する。この時代柄かもしれないが、何かと国の転機となる日のようだ。今ある平和が明日もあるとは限らない。当たり前のものが当たり前でなくなる日というものは、唐突にやってくるものなのかもしれない。もしくは、人が為す何かというものは、唐突にやってくるように見えるだけ…という事も、あるかもしれない。※警戒区...

2015
15

そして季節は巡る

今年もまた、夏の日差しが降り注ぐ。長いようで短い夏が終わると、余韻を残した侭葉は黄色く色をつけ始める。あっという間、だ。4年目の夏、楢葉町に出されていた避難指示を平成27年9月5日(土)0時に解除するとの決定がなされた。当方の展示が“復興の妨げになる”と懸念され突如中止になったのも、こうした背景もあった事による。復興は進んでいるし、復興は進んでいない。様々な側面から見て、様々な側面がある。ひとことで...

2015
17

声にならない声がある。叫びにならない叫びがある。

声にならない声がある。叫びにならない叫びがある。科学は進む。チェルノブイリという前例がある事は、適切な言い方ではないが不幸中の幸いでもあるかもしれないと、ふと感じる時がある。4年前と今とでは当然違う。でも、何よりも。人の心を救えているか否か、傷を癒せるか否かだと、思う。※警戒区内の写真は、全て許可を申請して撮ったものです。...

2015
15

口に含んだキウイは、残酷な程甘かった

私がチェルノブイリへ初めて赴いたのは、2013年10月。その二ヶ月後、私は「フクシマ」と呼ばれる福島にいた。開通する前の6号線。変わらぬ信号は延々と点滅した侭。寒々しい冬の青空の下、寒々しく真っ直ぐな道は続く。大熊町。福島県浜通りの中央部、双葉郡にある町。福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地である。原発迄の道のりは、監視カメラ付きのゲートにより閉ざされている。この時、車の中で6.71マイクロシ...

2015
25

原発には触れないように「元気な写真展をやって欲しい」

元気。って、なんでしょう。「原子力 明るい未来の エネルギー」元気だけだったら、単純にこういうキャッチコピー訴えのある写真の方があるのではないかと思うのですが。と、それはさておき。6月27日より予定していたチェルノブイリの写真展が中止となりました。(この記事に載せている写真は福島の写真ですが)「理由は伏せてくれ」とは言われたのですが、大学のHPに載せていたにも関わらず断りも入れる事なくその旨を削除し...

2015
22

桜舞い

儚いからこそ、美しい。だが、それは原発という現実を目の前に突きつけられた時、果たして肯定出来るものなのだろうか。私事ではあるが、前日、祖母が亡くなった。所用の為丁度福島へ帰省していた所だった。危篤の電話を受け、病院へ行くと、そこには呼吸の止まった祖母が横たわっていた。心臓はまだ小さく脈打っていた。身体はまだ温かかったが、次第に、冷たくなっていった。左じゃなくて、右の首の方から、冷たくなっていった。...

2015
21

3.11から、4年。

14時46分、仕事をする手を止め一人、目を瞑り、黙祷。周りの空気は、何も変わっていなかった。この日誰一人として、仕事の仲間の口から3.11という言葉が出る事はなかった。当事者じゃないと分からない痛み、結局対岸の火事でしかないのか、と、少しだけ悲しくなった。私の実家から一時間もしない位の場所に、相馬郡飯舘村はある。福島市の市街地で雪が溶け消える頃、飯館村にはまだまだ雪が残っていた。あの時までは、山々に囲...

2015
13

3.11から3年

黙祷。ついに3年が経ってしまいました。恐ろしく早いものだなと感じます。未だに、まだ知らなかったものやことがあります。先日の件は、家族もちょっと驚いたようでした。同じ福島でも、ここは全く別世界になってしまった。終わらない現実にどう向かい合うか、改めて問い直される時であるのかもしれません。写真・国道六号線は、原発作業員の方々の通勤ラッシュで毎朝大変混雑します。車も見えない時は、逆に珍しいようです。辺り...

2014
11

2年

黙祷。あの日から二年が経ちました。あの時は、仕事をしていて、あ、また地震だねアハハ、なんだか長いねアハハ、ハハ……ハ?!…一同騒然となり非常階段を駆け下りると、近隣の会社の方達も皆道路に出てきていて。慌てて出てしまった先輩は何も羽織らず、春先の寒い空の下でした。一時某所に避難し、iBookでAljazeeraを見ていた別な先輩が「震源は東北だ」「津波が来ている」…頭の中が真っ白になりました。父さんは。母さんは。弟は...

2013
11

2012.03.11 新浦安にて「うらやす震災復興祈念のつどい」

あれから、もう一年が経ちました。早いものです。去年一年は、あっと云う間に、瞬く間に駆け抜けてしまったような、気がします。あれから、皆様は何か、変わりましたか。さて。一年が経った3.11。液状化で騒がれた新浦安へ、足を運びました。割とご近所と云う事もあり、震災以来5、6回程訪れていたこの街。被災地のような酷い惨状にあったこの街で。住む友人は、水道が一ヶ月も止まりその間満足にお風呂に入る事が出来ず、仕事に行...

2012
15

言えないさよならなんて

言葉がなにも、出てこないんだ。...

2011
02
2011
31