開平の街で 弐
何もない、喧噪離れた畑ばかりが続く片田舎。世界遺産があると云うのに本当に人がいない。開平西南部、潭江の上流に位置する蜆岡鎮。頭の中がいすずのトラックのテーマソングに支配される…自分の地元もほとほと何もない場所だけど、流石にここには負ける、けど、「何もないからこそ、何もあるんだよ」と、いつも思っている。真の豊かさとは、相反する物者が表裏一体のコインみたいになって出来ているみたいだ。夕飯は店も悉く閉ま...
開平の街で 壱
楼閣の隣に人々の生活。路地裏にもじゃりと迷い込むと、地元の小さいながら何でもぎっしり揃っていそうな売店、その前にでっかいひよこと鶏の中間位のぴよぴよの群れ。可愛いなぁ…としゃがんで見ていると、店内の中国人達が何故かすんごいこっち見て笑っている。いいじゃないか可愛いんだよ。仔猫がぴよぴよにいたずらしようも、数の差と体の大きさとで勝てないらしい。結局ぴよぴよの残りの餌をショモショモ食べていた。向かい側...
開平碉楼 漆
亖眸は地を越え山を越え時を越え1920年に建てられた匪賊の監視用の更楼。強亜村の方氏一族と華僑が共同出資をして建築した。1−3階は食堂と居住部、4階5階は見張り台。探照灯、銃器類、サイレン等が完備されていたと云う。建築当初は古渓楼と云う名称で呼ばれていた。村からぽつんと離れた所に建っており、役目を終えた今でも佇み続けている。[ 続 ]...
日本特殊鋼管 大湊工場
壊れる楽園 見届けた結末「幸せは、過ぎ去りし後に光を放つ」いつか何処かでたぶん奴から聞いたその言葉は、終わらない悪夢のように、耳から、頭から、目から、心から、離れない...
開平碉楼 伍
忘らるる坤霊を歴覧すお腹空いたな…でも食堂もないな…道ばたで売ってるゆで卵は大丈夫だろうけどお腹壊したらやばいしな…。非常食にと買っておいたパンを齧りぽくぽく歩いていたら、前方からちょこちょことおじさんがやってきた。「あそこにも楼閣があるよ」と言っているみたいだ。前住碉楼、岐岭村大楼。現存する望楼は1833棟と言われている。何故この地に望楼が次々と建てられたか。それはまた、別な機会に。[ 続 ]...
開平碉楼 肆
丹華の塔は瑣霧の向こうに「開平版ピサの斜塔」と呼ばれているらしい、通称「斜楼」。周りの村々、現地の人間でも知らない人は割と多い。観光地からも、雑踏な街からも離れ、地元の人間しか通らないような細道をバイタクの後ろに乗り走る。ヘルメットなんて用意されていない。夕暮れ近い心地よい風。そのまま、カメラを掲げ、走り去る侭にシャッターを切りながら。[ 続 ]...
月刊宝島 2014年4月号に当方の写真が掲載されました
月刊宝島にて、当方の被災地・福島に関する写真・文章が掲載されました。(特別に許可を取り撮影したものです)3.11から早3年も経とうとしています。今も変わる事のないその風景、終わりの見えない原発問題に、自分なりに向き合っているつもりです。見て、これをキッカケに何か新たな事を感じて頂けたら幸いです。何卒宜しくお願い致します。...