舂く刻
刻は舂く砂時計徘徊瞻眺深々と西の方に遊びに来た時は、殆どの時まず足を運ぶ場所。心引かれてふらふらと、勝手に足が赴き出す。観光客押し寄せる時間帯を避け独り撮り歩いている中、カメラも持たず全く同じペースで巡っている青年がいた。珍しい人もいるもんだなぁ。と、更に珍しく話しかけられた。どんな写真撮っているんですか、と。気さくで笑顔が素敵なお兄さんだった。写真を見せた後別れたけど、電車を待っている時ふと顔を...
開平碉楼 窮
干戈彙飛去 遊子の安寧天楼に在り人が去りし今も尚、村々に根付くその楼閣。ただただに、ただただに在り続ける。楼閣の歴史は、古いかと思いきや比較的新しい。清朝末期(アヘン戦争(1840〜1842年)後)黒人奴隷が廃止されていく時代背景下にあった。アメリカ、カナダの西部大開発に伴い、ゴールドラッシュと大陸横断鉄道の建造に大量の労働力を必要とするようになり、黒人奴隷に代わる廉価な労働力を求めた。同時期、開平地区で...
開平碉楼 拾
眠れる机器人邀撃つ鵝はひよりひよ東和村にある、1918年に建てられた望楼。形が机器人(ロボット)に似ているので「机器人楼(ロボット楼)」と言われているとの事。村はのんびりとしており、お年寄りの姿が多く目立った。青梗菜が大量に天日干しされている光景は、なかなかに威圧感がある。鶏も犬も、何処も放し飼い。ついでにガチョウものんきに歩き回っていた。[ 続 ]...
望郷
からっからに吹き下ろす吾妻おろしを真っ正面から受け、延々続く坂道をチャリンコ立ち漕ぎで数十分。そんな単調な毎日だった。人撮りのご依頼を受けた。がっつりポートレート等そう載せた事もないのに、何も見ず直感でそのようなご依頼を頂ける等、とても恐れ多く、有り難い。生きている人間を、自発的にこう、なんていうか、撮影してこなかったのは。初めて撮影をお願いされた人間が、死体だったから、なのかもしれない。自分にと...
去年の秋、広島へ行った時の話し 4
おうちに帰ってきたら、めぐちゃんがふすまにペタペタ模様をつけていました。何もかもを自分たちで。農業や稲作、エネルギー、電気、生きて行くという事。俗世を捨てるという事は、とても覚悟のいる事だ。この世の中において、とても。夜ご飯はたくさんのメニューを皆で。作りながら、台所でわいわい食べた。野菜盛りだくさんのパスタ。味付けは自家製のニンニク醤油で。レシピは至って簡単なのだけど、自分で作ってみてもめぐちゃ...