【展示終わる迄トップの記事に致します】徜境 SHOKYO -チェルノブイリ in 福島- 今週末となりました。
なんやかんやと、今週末と、なりました。いつか故郷で展示をやりたいな。そんな淡い夢が兼ねてからあったのですが、このような形になるとは思ってもいませんでした。何卒よしなに。当方も21、22、28、29の休日は、在廊致します。[ 概要 ]故郷の隣に、絶望がいる。1986年、チェルノブイリ。2011年、福島。チェルノブイリとは、日本にいる自分にとって知ってはいるけど現実感の無い遠い存在だと思っていた。3.1...
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 3
トゥール・スレン、飛び飛びの更新になってすみませぬ。前回の記事はこちらから→S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 1S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 21976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不必要」という理由で医者や弁護士などの知識人をはじめ罪のない人々を次々と捕まえ、当時無人だった学校を収容所に転用した。2年9ヶ月の間14000~20000人の人々が収容されたとされるが、生還したのはたったの8名だった。人...
3.11から、4年。
14時46分、仕事をする手を止め一人、目を瞑り、黙祷。周りの空気は、何も変わっていなかった。この日誰一人として、仕事の仲間の口から3.11という言葉が出る事はなかった。当事者じゃないと分からない痛み、結局対岸の火事でしかないのか、と、少しだけ悲しくなった。私の実家から一時間もしない位の場所に、相馬郡飯舘村はある。福島市の市街地で雪が溶け消える頃、飯館村にはまだまだ雪が残っていた。あの時までは、山々に囲...
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 2
前回の記事からかなり間が空いてしまってすみません(当ブログではよくある話し)。今現在は平和そのものカンボジア。この平和を勝ち取る為に大きな困難と苦難と受難を、乗り越えてきた国であります。続きです。トゥール・スレンは、元々学校だったものを収容所とした施設だ。ポルポト政権(1975年4月~1979年1月)が断行した極端な共産主義により、カンボジアでは百万とも二百万とも言われる人々が命を落とす事となった。ポルポト...