921地震教育園 壱
2013
10
6月2日午後1時40分(日本時間同2時40分)過ぎ、台湾中部の南投県仁愛郷でM6.3、震源の深さ約10キロの地震が発生しました。
消防当局によると落石等により南投県と嘉義県で計2人が死亡し、南投県では別の1人も土砂崩れに巻き込まれ行方不明。この他に重傷者3人を含む約20人の負傷者が確認されております。
3月27日には中部・南投県仁愛郷を震源地とするM6.1、震源の深さ15.4キロの地震も起きて居り、台湾高速鉄道(新幹線)や台北市内の地下鉄が一時停止、同県や台中市で負傷者も出ました。
両地震共いずれも2400人超の死者を出した1999年の921大地震の震源に近く、心配せずにはいられません。
1999年9月21日、午前1時47分(日本時間2時47分18秒)に南投県集集鎮付近を震源にM7.6(台湾中央気象局はM7.3)の地震が発生しました。
死者2,415人、負傷者11,306人、行方不明者29人。
建物は約3万棟が倒壊、震央から約150km離れた台北市でも12階建てのビルなどが倒壊、夥しい被害を齎したこの地震は、ここ100年で台湾で最も大きな地震災害となりました。
921大地震発生後、政府当局及び学者、専門家により「地震記念博物館」が作られました。
霧峰郷光復中学校の断層のずれ、校舎の倒壊、河床の隆起等、地震発生直後の様子の状態が良い事から(状態が良い、と云うのもまた変な話しですが)これらを生きた教材としてそのまま保存、公開する事となりました。
2001年2月13日には「921地震教育園」と改名し、その存在・教育意義をより顕著にしました。
日本では2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
自分の故郷は被災地と呼ばれるようになり、福島出身と言うだけで様々な反応をされるようになりました。そのたんび(仕方の無い事なのかもしれないけど)何だか妙な気持ちになります。(嫌悪や哀しみではなく、妙、です)海沿いではなく内陸側だったので、隆起した道路も壊れた建物も耐震性の危うい建物も、実家の周りは殆ど直され、壊され、消えてしまいました。(自分の見える範囲、では)
さて「保存された被災地」と云うものは、どんなものなのだろう。
そんな好奇心から921地震教育園に、足を運んでみようと思いました。
前置きが長くなりましたが、ちょこちょこと、様子を載せていきます。何卒よしなに。



〔続〕



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