SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

72のアオ と - 神岡鉱山 -

2013
29



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「君の誕生日は絶対に忘れないのだよ」
「なんで」
「ティナの誕生日が10月18日なんだ。その2日前が君の誕生日、覚えやすい!」
「ティナって誰?」
「FFⅥのキャラクター」
「しらねー」



「フフフ、やっぱり君はオタクだよ」あいつの好きだった小説の主役のような、まさに左右非対称(印象的に。実際は整った対称な)な笑みを意味有り気に(実際は何も無い)浮べながらいつもからかう。
幼年期に言った事を、10年以上経っても、覚えていてくれた。
私がとっくに忘れているような(忘れたかったとも云う)思い出も。年に一度は必ずこの話題が出た。


10月16日、あいつの誕生日。
欠かさず、おめでとうのメールをしていたのに。それがもう出来ない。

この季節になると、必ずと言っていい程小学2年生の頃を思い出す。おばあちゃんから貰った生成り色の花をあしらった蘇芳色のリュックサックを背負って、由添団地4号棟前の公園で、遊具に巣食ったシロアリ達が犇めくのをあいつと一緒に見た。子供と云うのは無知故に残酷で、好奇心故のサディスティックな欲望を抑える事無く棒でアリ達を穿り出した。秋晴れの高い空に無邪気な笑い声を響かせながら。
それに飽きると家路に着き、途中見かけたポン菓子売りのおっちゃんのうたい文句と懐かしさの漂うドライカレーの匂いに心ときめき、玄関越しから母親達に必死でポン菓子代を強請った。

私の家に止まりに来た時、母親は決まってカレーを作った。余りの辛さに吃驚していた。だけど美味しいと言っていた。
中学に上がる迄は、よく信夫山の真下のトンネルから新幹線が出入りするのを見た。父さんが話す信夫山にまつわる怪談に子供達はいつでも震え上がった。

…よくよく思い出すと、変な思い出ばかりだ。でも、1番楽しかった。1番過ごした時間が長い友だった。


せめて、今だけでも泣かせてくれ。
20日、地元へ帰る。お誕生日おめでとうって、言いに行く。
あの場所がとても好き、いい所に眠ったなぁと、つくづく思う。空気が澄んでいて、なんもない田んぼばっか広がっていてのどかで、「福島だなぁ」と見るたび思う山々が一望出来て。


早く免許とらないと、なー…
1人で何処迄も行ける足が欲しい。遠くに行きたい。




アタイが親になったりする日なんて、きっとないだろうけど。
もし仮に何かがトチ狂ってそんな事になっちゃったら。あいつの事沢山話そうと思う。世界で1番大切な友達だよって。大切な従姉だよ、って。弟の子供なんか出来たりしたら、あんな風に、なれたらいいねって、話そうと思う。
愛情が、愛情だけを生めばいいのに。








6年前。
初めて廃墟を撮る、一ヶ月程前の、日記。
あの時、自分は泣けたのだろうか。覚えて、いない。
かつての師はそして声を掛けた。
「思い出してあげる事は優しい人間か恨みを持った人間かもしれないが、思い出して泣いてあげれる事は本当に優しい人間なんだ。」…よくこういう、「励ましてあげたい」と思う時、ブギーポップを思い描くよ。
と。






[ 合掌 ]



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