72のアオ - 神岡鉱山 -
2013
29
窮境は黄昏となりて





不陽不煌推して参る





天真爛漫廃墟少女の夏休みは終わらない





謳われし讃歌は静寂に消えゆ










気がついたら、絶対に「泣けない立場」になっている。
先頭に立つわけじゃないけど引っ張らなくてはならない。私が崩れたら、全てが崩れる。
もう、慣れたから全然構わないし、そんな事で後ろ向きでメソメソするような歳でもないのでどうでもいい。
強くなりたいと、剣になりたいと強く願ったのは、自分自身だ。
学校の授業以外でデジタル一眼を手にし、プライベートで初めてデジ一で写真を撮ったのは、葬式の時だった。
同じ歳の従姉の葬式だった。
叔母も叔父も祖父も祖母も父も母も、誰も出来なかったのだろう。
叔父のデジ一を渡された。「マキの為に写真を撮ってくれ。頼む」
葬式の様子、顔見知りの元同級生、元恩師、私の知らない彼女の友人達、知らない親戚。
そして、あいつの死顔。
花に包まれて、眠っているように、本当に美しかった。
同じ高校同じクラスになった時、他の友達に「マキちゃんって本当に美人だね」と言われる迄身近すぎて全然気がつかなかったけど、初めてその時気がついて。自分との差に初めて気がついて、結構ショックだった。影で笑われた事も知っていた。同じ血が流れているのに、どうしてこんなにも違うんだろうね、と。
けど、美人だけどそれを鼻にかける事もなくいつもマイペースで、何か言動がおかしくて妙ちくりんな事ばかり言っていて、兎に角変わっていたあいつが大好きだった。
憧れは、憧れの儘、灰となった。
私は泣けなくなったけど、でも、愛する人がいる、それは死んでも生きても変わらない。
自分が廃墟を撮るようになる、7ヶ月前の、お話。





最近、夜ご飯を自分の家で食べる時は、必ず出し巻き卵を焼いている。
私は、母の作る卵焼きが、世界で一番好きな、卵焼きだ。
父は物心ついた時からいつも言っていた。今だにたまに言っている。
「俺は、ママの卵焼きの味に惚れたんだ」
「まだ付き合いたての頃、ピクニックに行こうってなった時お弁当に卵焼きを必ず作ってきてって頼んだんだ。その味が未だに忘れられない。感動した。一目惚れで最初から結婚するつもりだったけど、あの卵焼きは更に決定的だった」
このオッサン、基本的にいつも、惚気ている。
でも、そんな変わらぬ父が、私は好きだ。
そうだよなぁ。
美味しいキッシュは焼けても、美味しい卵焼きが焼けない女なんて、最高にダサイかもしれないなぁ。
そう思い、毎日、焼いている。
でも、母の味に敵う日など、到底、来ないかもしれない。





『
「君の誕生日は絶対に忘れないのだよ」
「なんで」
「ティナの誕生日が10月18日なんだ。その2日前が君の誕生日、覚えやすい!」
「ティナって誰?」
「FFⅥのキャラクター」
「しらねー」
「フフフ、やっぱり君はオタクだよ」あいつの好きだった小説の主役のような、まさに左右非対称(印象的に。実際は整った対称な)な笑みを意味有り気に(実際は何も無い)浮べながらいつもからかう。
幼年期に言った事を、10年以上経っても、覚えていてくれた。
私がとっくに忘れているような(忘れたかったとも云う)思い出も。年に一度は必ずこの話題が出た。
10月16日、あいつの誕生日。
欠かさず、おめでとうのメールをしていたのに。それがもう出来ない。
この季節になると、必ずと言っていい程小学2年生の頃を思い出す。おばあちゃんから貰った生成り色の花をあしらった蘇芳色のリュックサックを背負って、由添団地4号棟前の公園で、遊具に巣食ったシロアリ達が犇めくのをあいつと一緒に見た。子供と云うのは無知故に残酷で、好奇心故のサディスティックな欲望を抑える事無く棒でアリ達を穿り出した。秋晴れの高い空に無邪気な笑い声を響かせながら。
それに飽きると家路に着き、途中見かけたポン菓子売りのおっちゃんのうたい文句と懐かしさの漂うドライカレーの匂いに心ときめき、玄関越しから母親達に必死でポン菓子代を強請った。
私の家に止まりに来た時、母親は決まってカレーを作った。余りの辛さに吃驚していた。だけど美味しいと言っていた。
中学に上がる迄は、よく信夫山の真下のトンネルから新幹線が出入りするのを見た。父さんが話す信夫山にまつわる怪談に子供達はいつでも震え上がった。
…よくよく思い出すと、変な思い出ばかりだ。でも、1番楽しかった。1番過ごした時間が長い友だった。
せめて、今だけでも泣かせてくれ。
20日、地元へ帰る。お誕生日おめでとうって、言いに行く。
あの場所がとても好き、いい所に眠ったなぁと、つくづく思う。空気が澄んでいて、なんもない田んぼばっか広がっていてのどかで、「福島だなぁ」と見るたび思う山々が一望出来て。
早く免許とらないと、なー…
1人で何処迄も行ける足が欲しい。遠くに行きたい。
アタイが親になったりする日なんて、きっとないだろうけど。
もし仮に何かがトチ狂ってそんな事になっちゃったら。あいつの事沢山話そうと思う。世界で1番大切な友達だよって。大切な従姉だよ、って。弟の子供なんか出来たりしたら、あんな風に、なれたらいいねって、話そうと思う。
愛情が、愛情だけを生めばいいのに。
』
6年前。
初めて廃墟を撮る、一ヶ月程前の、日記。
あの時、自分は泣けたのだろうか。覚えて、いない。
かつての師はそして声を掛けた。
「思い出してあげる事は優しい人間か恨みを持った人間かもしれないが、思い出して泣いてあげれる事は本当に優しい人間なんだ。」…よくこういう、「励ましてあげたい」と思う時、ブギーポップを思い描くよ。
と。
[ 合掌 ]



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