Чорнобиль три -チェルノブイリ 3- Церква Святого Іллі 聖エリアス教会
2013
12
立入禁止区域内に、19世紀後半〜20世紀前半辺りに建てられた、現在唯一使われている教会・聖エリアス教会がある。

老年の女性が管理しており、訪れる人も今では少ないが、自分たちのような外部からの観光客が訪れる場所の一つにもなっている。

毎年4月26日には、原発事故の追悼式が行われる。
今でも、ここで結婚式も行われる事があるらしい。



元々ウクライナには多神教や自然崇拝を行う部族が暮らしていたが(日本で云う神道や八百万の神のようなものですかね)、ビザンティン典礼のキリスト教が紀元1000年になるまでに導入された。キエフのキリスト教をビザンティンのキリスト教の優越性と同等の地位に持って行こうとした後の執筆者達は、使徒アンデレ自身が後にキエフに建設される遺跡を訪問したと想像した。
しかし、10世紀までには台頭しつつあった国家キエフ・ルーシが東ローマ帝国の影響を受けるようになり、945年か957年にコンスタンティノープルに嫁いだオリガが最初にキリスト教に改心した実例として知られている。数年後、オリガの孫ウラジーミル公が人々をドニエプル川で受洗させた。これは古代ルーシ、後のロシアとウクライナに及ぶ東方正教会の長い優位性を誇る歴史の始まりだった。
ウクライナの宗教は様々な段階を経てきた。ソビエト連邦時代には共産主義に基づき宗教に対する激しい弾圧が行われたため、ごく一部の人々しか教会に行くことを許されなかった。
今でもウクライナ国内の宗教はキリスト教の中でも東方正教会に所属する者が半数以上を占める。

[ 続 ]



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