Чорнобиль дев'ять -チェルノブイリ 9- Копачи деревня детский сад コパチ村の幼稚園2
2014
25
コパチ村に唯一残された建築物の一つである幼稚園。(もう一つは役所らしい)
中には子供達が描いた絵や、遊んだ玩具、ベッド等が残された儘になっている。
ここもまた、訪れる誰かによって意図的にメッセージ性のある、残留物をセッティングされた痕跡が見受けられる。

事故当時村には1114人程の人々が暮らしていた。
事故の36時間後にプリピアチ市は知らせを受け約3万人が避難したが、コパチ村の人々が避難したのはそれからだいぶ遅れた5月3日であった。




プリピアチ市は原発労働者の住む大きな街だった為、避難勧告も迅速であったらしい。
遅れた避難をしたコパチ村の人々は、留まる間大量に被爆してしまった可能性もある。
それを聞いて思い浮かべるのは…やはり3.11での東電の対応かもしれない。
職員の親族は事故直後早急に避難させ、その事を隠した上でそれ以外の人間には「大丈夫、すぐにおさまるから」等と平然と嘘を述べ留まらせた事実もあった。(ここでは簡潔に書きますが、後程別途記載します)
一番大切なのは…、何なんでしょうね、本当に。
[ 続 ]



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