大竹子育地蔵尊
2014
14
ふらふら気の向く侭に帰省したとある春陽の頃。
祭りだ。
懐かしい、祭りだ。
幼年期、必ず水飴を買いに走った、毎年四月の第三日曜日に行われる大竹子育地蔵尊の例大祭。

地域の小さな祭りだが、福島市各地から人が訪れなかなかに賑わっている。
あめ屋さんあった、ふふふ。


うろちょろしていたら親戚に声を掛けられた。お寺の中も見て行きなー、と。
何年振りだろうこの中に入るの…。

ずらりと並ぶ、沢山の地蔵様。
大竹子育地蔵尊には、こんな民話がある。
「今から約四百年前、江戸時代のはじめのころ、二本松の畠山家の家臣で、戦に敗れて落ちのびてきた鈴木治右エ門(じえもん)という人が荒井に住み着いたんだど。
あるとき、治右エ門の子どもが病気になつちまって、あっちの医者、こっちの医者と診てもらったげんちょも、なかなか熱が下がん ねがった。
一心不乱に仏様にお願いしたところ、ある晩のこと、枕元に一人の白髪の老人が立って「荒川に地蔵様がおられる。お願いして みるがよい」と言ったと思うと、姿が消えたんだど。
はっと気づいて、荒川さ行ってみっと、泥の中さ地蔵様がうずまってた。 持って帰ってきれいに洗い、お堂の中に安置したんだど。そこが、大竹という所だったのない。そしたら子どもは次第によくなって「霊験あらたかなり」とたちまち評判になった。この地蔵様を信心している家の子どもは、怪我をしても大事には至らず、疫病がはやっても、かからなかったんだど。
いつのまにか「子どもを守る地蔵様」「子育て地蔵」と呼ばれるようになって、子どもが熱を出すと、その地蔵様をお借りして、 治ると返しておくのない。ところが、本尊様は一つしかねえから、次の人が借りるのに困つちまう。それで、借りた人はそっくりの地蔵様を木で彫って、二つにして返すようになり、どんどん木像が数を増やしていったんだど。さらに県外にまで地蔵様の分身が広がって、子どもを守り続けているんだど。
はくさんしゃがて、荒井のお寺白山寺がお守りするようになって、お祭りも盛大に行われるようになったのない。 今でも四月の第三日曜日に例大祭が開かれてるんだぞい。」

この地蔵様、毎年約100体ずつ増えていってるらしい…。
木彫りの地蔵様はこけしに似ているけど、どうやらこけしとの関連性は無いらしい。同様の信仰習俗は二本松近くの小浜子守地蔵尊にも残っている。
ちなみに大竹子育地蔵尊に生えるアカマツは、ふくしま市の保存樹に指定されている。





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