S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 3
2015
17
トゥール・スレン、飛び飛びの更新になってすみませぬ。
前回の記事はこちらから→
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 1
S21 -Tuol Sleng- トゥール・スレン 2

1976年、クメール・ルージュが「革命に学問は不必要」という理由で医者や弁護士などの知識人をはじめ罪のない人々を次々と捕まえ、当時無人だった学校を収容所に転用した。
2年9ヶ月の間14000~20000人の人々が収容されたとされるが、生還したのはたったの8名だった。


人々を収容する際、服にピンでナンバープレートを付け撮影した。
服を着ていなかった人は、皮膚に直に、ピンを。

当時の遺体の写真も夥しい数が展示されている。

こちらの赤子を抱いた女性は、外務副大臣の妻であったチャン・キム・スルン。
ポル・ポト政権下で政府高官であった者も、「党中央」以外は逮捕・処刑された。
特に疑いをかけられた政府高官の妻子は、逮捕後迅速に処刑されたのだった。

収容所へやってきた者たちは、衣服を脱ぎ黒色の農民服に着替えさせられた。
回収された衣服が、ガラスケースに大量に保管されている。







尋問中の保安規則、というものがあった。
1.質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
2.何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
3.革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
4.質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
5.自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
6.電流を受けている間は一切叫ばないこと。
7.何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
8.自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
9.これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電流を与える。
10.これらの規則を破った場合には10回の電流か5回の電気ショックを与える。
……
これでは、何が何でも、嘘の自白をせざるを得ない。

カンボジアと言ったらアンコールワット、シェムリアップへ行く旅行者が日本では殆どだと思う。シェムリアップにも当然、キリングフィールドと呼ばれる場所はある。
が、カンボジアの負の歴史、ジェノサイドを生々しく伝えるにあたり一番に強烈なのは、やはりここトゥールスレンだろう。
オススメ、というのもおかしいが、心に戒めを、過去を知り現代の平和ボケした日常に喝を入れるのは、悪い事ではないと思う。



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