原発には触れないように「元気な写真展をやって欲しい」
元気。
って、なんでしょう。

「原子力 明るい未来の エネルギー」

元気だけだったら、単純にこういうキャッチコピー訴えのある写真の方があるのではないかと思うのですが。
と、それはさておき。
6月27日より予定していたチェルノブイリの写真展が中止となりました。
(この記事に載せている写真は福島の写真ですが)
「理由は伏せてくれ」とは言われたのですが、大学のHPに載せていたにも関わらず断りも入れる事なくその旨を削除しせめて「都合により〜」云々でも入れればいいのにそれすら入れないんじゃぁ、隠蔽お願いしても説得力がないよなぁ、と思い。
2年前だったかな、「なかったことにしてください」って言って来たある人間の言葉を思い出す。
そう、これが今の美しい国日本の縮図なのかもしれないなぁ、と私は素直に感じた。
まとめると、
・学生募集に響いたら困るから
実際3.11の時沢山の学生さんが帰ってしまった。良いイメージを押し出し原発は大丈夫だよと言っているのに学生募集に水を差すような事にならないか
・チェルノブイリin福島という表現がまずい
これは正直、自分も「あえて」使っている。尖った表現である事には自覚は持っている。だからこそ使っているのだ。
福島の未来はチェルノブイリだよ、そう言っているように見えて良くないというご指摘がありました
・復興に水を差す事にならないか
楢葉町が盆前に帰宅困難区域を解除される。
インフラもまだ整備されていないから復興を全面に押し出している今現在、その復興に水を差す事にならないか
・原発の事には触れないように「元気な写真展をやって欲しい」
・福島の未来=チェルノブイリと見られると困るから
…との事でした。

原発と共に歩んだ結果。
今有る現在を客観的に見せる事が何故不謹慎に繋がるのか、私にはよく分かりません。
ただ日本の体質が隠蔽体質で、くさい物には蓋を、事なかれ、どうにもならないなら最初から触れないで欲しい、そういう人間が過半数を占めるという事は、痛い程分かっているつもりです。

今この国の多くの人間に必要なのは、現実から目を背けない強さ、なのではないでしょうか。
(そういった意味を籠め、この記事にて福島の写真を載せました)

近年、チェルノブイリ、福島、そういったものものを撮り出し常々強く感じる事。
「“不謹慎”という見えない刃は、いつだって安全圏から飛んで来る」
震災の被害に遭ったいわきを、安全圏と一言でくくってしまう事はとても乱暴かもしれません。
でも、
あなた方はその目でチェルノブイリを見ましたか。
その目でフクシマを見ましたか。
(本当はフクシマとカタカナで書く事なんて、大嫌いではあるけれども)

