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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

Чорнобиль чотирнадцять - チェルノブイリ 14 - день незалежності 1991年8月24日、独立記念日

2015
25



1991年8月24日。
17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後この国はロシア帝国の支配下に入った。
第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。
1991年、ソ連崩壊に伴い漸く独立したが、チェルノブイリという負の遺産を抱きかかえる事となった。



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8月。
日中35度を超える夏日となれど木陰に入ると思いのほか涼しいカラリとした気候。



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死の街とは誰が言ったか。
否、訪れし誰もが思うだろう。



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死して生ける。
廃墟、と呼ばれる場所は相反する必然的偶発性を孕み最期の時迄其処に在り続ける。
此の場所も例外となくまた。
ただ、チェルノブイリという場所を、廃墟と一括りにするには、心情的になんとも難しい人々も多い。
私もそれは、沸々感じる。



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此処は、廃墟を抱く場所。そういう言い方が、正しいのかもしれない。



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ウクライナ北部やベラルーシ東南部に広がる沼地のポレーシエでは、コウノトリが赤ん坊を暖炉の煙突から落とし入れてくれるという伝説がある。
ひまわりに続き、ウクライナの象徴となるシンボルだ。



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首都キエフで反政権デモ隊と治安部隊の衝突が起き、大きな暴動となったのは日に新しい。
チェルノブイリの“ゾーン”の検問前には、コサック魂が堂々掲げられていた。思わず敬礼せずにはいられない。日本とウクライナ、場所は離れど立場は似ている、何処と無く親近感を感じるのだ。

残酷な迄に時は流れ、眈々平然と季節は巡り往く。









[ 続 ]



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