SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

劈憶

2015
16



まだ夏空の残る高い空の下、私は念願叶い、其の場所にいた。




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斜坑口や弾薬庫等に施された鱗状迷彩模様の外壁は類を見ない珍しいものだ。
弾薬庫の横に、サイパンの海で沈んだ二式大艇のプロペラが展示されていた。漁船の網にかかり、寄与されたものらしい。




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そして。
鎮西の極東、今は昔孤高の岬に巨砲は鎮座した。

昭和六年竣工、巡洋艦後部主砲を砲台に収めた其れは、天授全うする事無く歴史に幕を閉じた幕を閉じた。




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1941年(昭和16)12月、太平洋戦争が勃発すると大分県佐賀関・豊予要塞にも戦時編成が発令され、これに基づき翌1942年(昭和17)1月、重砲兵連隊が丹賀砲台の砲塔にて実射訓練を行った。
1発目、2発目、3発目…順調に事は進んだかのように思われた、が、最後の一発が砲腔爆発、一瞬で砲台は破壊され、砲室内にいた16人が全員即死、周囲の施設にいた28人が重軽傷を負う大惨事となった。
砲室内にいた兵士はその凄まじい爆破により壁に叩き付けられ、血まみれの軍服だけが叩き付けられたその壁に張り付いていたという。
事故後村には箝口令が敷かれ、事故そのものが封印され、砲台も一度たりとも実戦で活躍する事なく、戦争は幕を閉じた。

1991年、旧鶴見町はこの砲台跡を展望所として整備、砲台下の弾薬庫跡なども整え、戦争遺跡「ミュージアムパーク丹賀」として歴史を知る事の出来る貴重な遺産として蘇らせた。










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