満州国は黄金郷の夢を見たか 2
2016
29
「俺も行くから君も行け、狭い日本にゃ住み飽きた。
海の彼方にゃ支那がある、支那にゃ四億の民が待つ。」

大正から昭和にかけて日本全国青年の満州大陸への憧れの血潮を咲かせた革命歌。
大志を抱き満州へ渡った若者たちが、どれだけいた事だろう。




当時日本は米国から石油・屑鉄、工作機械などを買入れて備蓄するための決済手段として「金」が必要だった。
朝鮮北部の山岳地帯には金鉱の埋蔵量が多かった為、大企業の日本鉱業や中企業の小林鉱業などの鉱山会社が進出し、金やタングステン採掘を競い合ったという。

満州国の忘れられし遺産の対岸には、

北朝鮮。

ここは朝鮮北端の
二百里余りの鴨緑江
渡れば広漠南満州
極寒零下三十余度
四月半ばに雪消えて
夏は水沸く百度余ぞ
(朝鮮北境警備隊の歌(鴨緑江節)より)




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