墓石の墓場 - Tombstone Gestaltzerfall -
2016
14
爾時千世界 微塵等
神も仏も無い世界


墓地の墓地。
墓石の墓場。
そんな言葉がしっくりと来る。

今、全国各地で墓石の不法投棄が相次いでいる。
過疎化の進む地方から始まった墓の無縁化、参る人間がいない無縁墓の急増。

通常、不要となった墓石は運搬業者に引き渡し処分場へ運ばれる。
処分場で墓石は細かく砕かれ、道路工事用の砂利などとして再利用される。
費用は1トン5,000円〜1万円。
悪質な運搬業者はこの支払いを渋り、石材店に無断で不法投棄をするケースがある。
そんな不法投棄の墓石が無惨にも野曝しにされた場所が淡路島にあると言う。
しかし、ここは違う。
寺が有料で墓石を引き取り、永代供養をなす。宗教法人不動院・三島覚道住職の御厚意だ。

かつて日本は、1つの墓に1人が埋葬される土葬が中心だった。
明治の民法で家制度が定められると先祖代々の一族がひとまとめの墓に祭られるようになった。
そこは一族の繋がりを確かめる場だった。

時代は流れゆく。
戦後核家族化が進み、地方にある墓の守り手は減少していった。
先祖信仰そのものが、崩れ始めようとしている。

先祖、というものは、宗教が割と身近にある家に生まれた自分にとって、当たり前の概念であるような気がする。
それに対し何も疑問を抱かず、食事をし風呂に入ると同じような感覚で先祖に手を合わせるという事はごく自然な日常生活のひとつだ。
だからと言って、自信が宗教宗教しているわけではないが。信仰するからこそご利益がある等とは一切思っていないし現世利益というものに大してはビジネスのひとつでしかないだろうと思っている。(世界の何処かである信仰の形も、上に立つ者が国に、己に有益に動かす為に、人々を傷つけぬよう築き上げた搾取の形のひとつだろう…と、この手の話はまた別の機会にでも…)
ただ、今ある自分は、過去に生きた先祖がいるからこそ存在する、それだけだ、と。(もしかしたら、加護みたいなのがあって危険を回避してくださっている、っていうのは、プラス思考でポジティブに考えられるから、少しだけ考えていてもいいかもね)だから自分も、ご先祖様は大切だけど、それは心の中にあるもので、態々我が家の墓を守るって事になると…どうなのかな…いつ迄持つのだろうか…と思ってしまう。そんな事を言いつつ、“墓”というモニュメントは大好きだったりする。好物中の大好物だ。相反するものが混在する。


今一度、今或る我が家のお墓の在り方、未来を考えるキッカケのひとつにでもなれば。
参考:
クローズアップ現代 墓が捨てられる ~無縁化の先に何が~
webサイト同時更新です。是非、併せてご覧くださいませ。
無何有郷 - Tombstone Gestaltzerfall -
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