トルコの東の果て、アルメニアとの国境の街・カルス - Kars - 6 Kars Citadel
2016
21
私はカルスという町について何も調べないで行ったけど、散策すれば散策する程、アルメニアにほど近いこの町に吸い込まれるように興味を持った。


「オールドカルスキャッスル」と町の人が言っていたカルス・シタデル(Kars Citadel、Citadelは砦という意味だ)は、カルスを見下ろす岩山の上にある。1153年に建てられた。アルメニアの領地だった時代に建ち、流れ行く怒涛の時代の中1386年にはモンゴルに、1606年にはイランに、1878年にはロシアに破壊・占領されながらも、露土戦争(オスマン・ロシア戦争1877-1878年)の40年後、部分的に修繕され現在に至るらしい。

生憎の天気だが、カルスの町を一望出来る気持ちのいい場所だ。
町の向こうに荒々しい山々が見える。流石にアララト山は見えないだろうけど、雄大な山々は、常々心を魅了して止まない。

カルスは、ロシア領土時代、ゲオルギイ・グルジエフが少年時代を過ごした町でもある。
グルジエフはギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれた。
一般に「ワーク」として知られる精神的・実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。
20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもある。その人物と業績の評価は賛否両論様々だ。

グルジエフは、医者又は技師になることを目指し勉学に励み、カルスの城砦にロシアが建設した陸軍大聖堂の聖歌隊の一員となった。カルス陸軍大聖堂のボルシュ神父を最初の師として精神的な事柄への関心を更に募らせ、やがて近傍の聖地や遺跡などの探訪を始める。そしてカルスから50キロほど離れたアルメニアの教会都市・アニ遺跡で友人であるポゴジャンと暮らす事になる。
そこで伝説的な教団の実在を示唆する古文書を掘り出し、これがアジアとオリエントの辺境をめぐる長い旅の最初のきっかけとなった。





カルスの町では嘗て沢山の血が流れた。
トルコ軍によるアルメニア人の大虐殺では、グルジエフの父親が命を奪われた。
廃墟となった城砦とカルス河の川辺には、オールド・カルスの名の通り、過去を彷彿させる物悲しい景色が残っている。



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