陶製手榴弾の墓場 - Abandoned ceramic grenade -
雑魚で在ろうと夢は見る。
兵の背に、残そうぞ爪痕を。

何年か前に、陶器製の手榴弾が大量に遺棄された場所がある、という話を聞き、写真を見た。
そんな場所があるんだ。いつか機会があったら見に行こう。
その機会が、先日漸くあった。
近いようで遠い場所、遠いようで近い場所、というものは思いの外なかなか腰が上がらないものらしい。
常々思う。
川、というよりは湿地、というような…
水量が多い時は多いらしい。
一瞬貝塚の跡か何か…と見間違うような光景。

よく見ると割れた陶器の数々。
これが、不法投棄された陶製手榴弾だ。

白い陶器、黒い陶器、茶色い陶器…押された刻印…




大きさ形は一緒だが、色や刻印の種類はバラバラだ。
これらが製造されていたのは、戦時中。
通常の手榴弾は金属製だが、戦況が悪化し日本は資源不足の窮地に立たされる。手榴弾に使用される金属の不足。
そこで代用されたのが、陶器だ。
遺棄現場近くにあった工場で、陶製手榴弾は製造された。
1944年夏頃から「四式陶器製手榴弾」が製造された。滋賀県甲賀市信楽で焼かれた陶器が川越まで運ばれ、工場で火薬を詰められ、東京第一陸軍造兵廠川越製造所(埼玉県ふじみ野市)に納入された。

構造は基本的に手榴弾の弾体部分の材料に陶磁器を使用し、その中に八八式爆薬(カーリット)を詰めたごく簡単な作りになっている。
形状が丸いのは、手投げの毒ガス弾(ちび)などをモデルにした為らしい。
発火方式には発煙筒同様の摩擦発火式を採用、手榴弾上部にある信管には防水の目的からゴム製のキャップが取り付けられた。弾体自身も陶磁器のため、破損・水の浸透・取り落としなどの防止の目的から薄いゴム袋で覆われていた。

製造は、約1年で終了した。そして、工場近くの川に陶製手榴弾を大量に遺棄された。
陶製地雷の破片もあった。

陶製地雷なんて存在も初めてその時知った。
と、言うより、陶製の手榴弾や地雷なんて威力がそもそもあるのだろうか…?
と、思ったら、案の定…らしい。陶製手榴弾は全国民に配り一人一つ持たせる予定だったらしい、と友人の弁。
使用方法は、
1:信管に取り付けられているゴム製キャップを取り外し、内蓋である木製の摩擦板を取って裏返す。
2:裏返した面に塗られた摩擦剤で導火線先端に付けられた点火剤を摩擦し点火。
3:投擲!(又は持ったまま…)
発炎筒の発火要領とほぼ同じの構造。
陶器製の外殻では火薬の爆発に耐えられず直ぐに破れてしまうため、炸裂時に生成される破片の速度が上がらなかった。故に金属製の手榴弾に比べ劣っていた。その威力も「ないよりはマシ」程度だったとか…。

終戦から70年以上経った今もこのような物が残っていようとは。
所々、重機で掘り返したような大きな穴があった。もしかしたら市の調査でもあったのだろうか?
昔は欠ける事無い侭の状態の手榴弾も残っていたらしいが、今となっては見つける事は困難かもしれない。
ちなみに外国では、ソビエト連邦の陶製手榴弾、ナチスドイツのコンクリート製手榴弾や、金属製の外殻を持たないニポリト製手榴弾…など、代替品で製造された各手榴弾が製造された例がある。
そしてトゥギャッターで日本の陶製手榴弾についてまとめられていたりします。面白いのでお時間ありましたらオススメです。

そんなこんなで、明けましておめでとうございます。
新年の記事第一弾となりました。
今年も何卒よしなに。
日本軍の小失敗の研究―現代に生かせる太平洋戦争の教訓 (光人社NF文庫)