ベトナム戦争の記憶・クチトンネル - Cu Chi tunnels -
2017
20
ホーチミンから北西へ約70キロほどの距離の場所に、南ベトナム民族解放戦線の拠点のひとつだった場所がある。
現在では観光地になっているが、なんとそこで実弾を撃つ体験が出来ると言う。
行きたい。撃ちたい。銃ぶっぱなしたい。
呆れる程不純な動機で我々はベトナム戦争の記憶の残るその地へと向かった。

ホーチミンから3時間以上かかるというので、現地でツアーに申し込むのもいいかと思ったが、ここはあえてローカルバスを乗り継いで自力で行ってみようという事になった。
バス停で、偶然出会った日本料理店で働くベトナム人女性が親切に案内してくださったので迷う事なくバスに乗る事が出来た。有難い。
まずは13番バスに乗り、クチの街へと向かった。

ベトナムはバイク大国だ。
主要道路道は大体すごい事になっている。
案の定渋滞に巻き込まれる。
でもまぁ、乗っていれば着くし景色も楽しんでいこうなんて…最初は悠長に考えていた。

最初は空いていたバスが、停車する度乗客を迎え、あっという間に満車になる。
最初は涼しかったバスが、人間の熱気で蒸し風呂状態になる。
暑い。これは地獄だ。
この時点で息絶え絶えになりかけていたが2時間半で無事クチの街に到着。
続いてバスを乗り換え79番のバスで更に1時間。
ぐずついていた天気模様が、到着した途端ついに雨となった。

入場料を払い中…というか森を進んでいく。

薄暗い森だ。雨のせいでより一層不気味に感じる。
ここ、クチには全長250mに及ぶ地下に張り巡らされたトンネルがある。
クチトンネル。
ベトナム戦争中、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)によってゲリラ戦の根拠地として作られた。
ここよりカンボジアとの国境付近までトンネルが張り巡らされていた。
戦時中、南ベトナム解放民族戦線の兵士たちは様々な工夫をして狭いトンネル内に身を潜めて暮らしていた。

当時の生活の様子や戦争中に使われた罠の数々が、戦争史跡公園として残されている。
まずは教育ビデオのような映像を見る。
見終えると暫し待つように指示される。
他の西洋人の団体客がほどなくして現れ、彼らと共にクチトンネルを案内される事になった。
もしかしたら、個人客の方が珍しいのかもしれない。
自分と友人と、そしてたまたま同じバスに乗り合わせた日本人の大学生。私たちだけが個人客だった。

雨はいよいよ強くなる。憂鬱にも程がある。

何の変哲も無い森み見えるが、実は自分たちが歩いている下にも地下網が…
米兵に対抗する為、村人たちは一丸となって戦った。
地下になんと6年も潜伏し、そこで暮らし続けた。
トンネルの入り口は極めて分かりにくい。
しかもとても狭い。とてもじゃないが大柄な米兵たちでは上手く身動きが取れない。そして…。小柄なベトナム人だからこそ出来た戦法だった。考え抜かれたゲリラ戦法、蒸し暑い劣悪な気候、彼らは決して諦めなかった。軍事力では遥か上回るはずのアメリカはこうしてベトナムに敗北した。

この隠しトンネルは、観光客が入る事が出来る。
雨と泥。ぐっちゃぐちゃだ…。

物凄く狭い!そうだ。

くるっとひっくり返る落とし穴の罠。
落ちた先には鋭い鉄棒。釘ざしになる上に先端がかえしになっているので、抜くに抜けない。

トンネルの中に入り、その狭さと生活の様子を一部だが知る事が出来る。

中腰どころか、中には四つん這いじゃないと移動が厳しい箇所もある。
この天気、トンネル内もびっちゃりとしている…。
ちょっと泣きたくなった。
ライトを点けないと真っ暗で何も見えない箇所もある。

そして湿度の高さ。
一眼レフのレンズが曇る…。

トンネルの見学を終えると、当時人々が主食にしていたタロイモを食す事が出来る。
ピーナッツ入りの塩をつけて食べるのだがこれがまた美味しい。タロイモ独特の甘みを程よく引き立てる。

クチトンネルの見学を終える頃には雨は止んでいた。
東南アジア独特の集中豪雨。日本の雨季のようにしとしとしていないからラクだ。
映画や本でしか知らなかった南ベトナム民族解放戦線に初めて触れた日だった。この目で見て、手で触れて、五感で感じ取る景色。
そして同じ道をまた、バスで戻る。長い、長い道のり。
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