生けるソ連・沿ドニエストル共和国 3 - The country where the Soviet Union lives Transnistria -
2017
18
沿ドニエストルの首都・ティラスポリの大通り沿いを歩いていると必ず目に入る大きな像がある。

沿ドニエストルの建国者・スヴォーロフ将軍の像だ。

近くにいる子供と比較して、その大きさがよく分かる。
1990年9月2日が沿ドニエストルの国の設立だが、「建国者」と呼ばれているのはロシア帝国時代の将軍だ。
トルコとの戦いに勝利し、ドニエストルのあたりがロシアの領土になった歴史がある。

1792年、ロシアとオスマン帝国との露土戦争(第6次ロシア・トルコ戦争)にロシアは勝利した。沿ドニエストルはロシアの領土となる。
ヤシ条約が締結された年だ。ヤシとはルーマニアにある都市で、モルドバから一番近いルーマニアの都市である。
ロシアはこれにより1774年のキュチュク・カイナルジャ条約と83年のクリミア併合をオスマン帝国に確認させ、ドニエストル川に至る黒海北岸地域を領有した。
それ以前の民族構成は主にモルドバ人、ウクライナ人、そしてタタール人だった。


未だにこのようなプロバガンダ広告を街の至る所で見る事が出来る。
現在の民族構成はモルドバ人、ウクライナ人、ロシア人がそれぞれ同じ位の割合で住んでいる。
小さな国だが独自通貨たる沿ドニエストル・ルーブルが国内で流通している。
沿ドニエストルでしか換金、使用する事が出来ないので注意が必要だ。


2016年、ロシアは自国空軍の戦闘機をトルコから撃墜された事件への報復としてトルコからの物品の輸入を禁止した。しかしその代償として輸入の主要品となっていた青果物を失うこととなった。ロシアは、青果物をトルコを始めとした諸外国からの輸入に頼っている現状がある。
これを受け、沿ドニエストルは代替の青果供給地として名乗りを上げいる。
特にトマトは、ロシアは4割をトルコに頼っていた。沿ドニエストルその代替供給に対して特に積極的にアピールをしているそうだ。
…そういえば、スーパーで買ったトマト、やたら美味しかったな。
赤々としたトマトに惹かれ1キロ購入し、宿へ戻って夜食や朝食にと毎日食していた。
知らずに属していたがそんな事情がったとは。帰国してから知る。

見事にスターリン様式な建築物。モスクワの家。
私は早朝に撮影していたが、時間帯によっては警備員がおり撮影を禁じられたりカメラを没収される事もあるそうだ…。撮るなら遠巻きに、近づいての撮影には気をつけた方がいいかもしれない。
ここにもレーニン像があり(全身像ではなく胸像)、時代錯誤の生ける亡霊を肌で感じる事が出来る。
夜はライトアップをしているが、残念ながら私はそこまでライトアップには興味がなかった。

街はずれにひっそりと佇む戦争記念碑である第17航空軍のMig戦闘機もまた凛々しく美しい。
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