オリンピックも夢の跡…サラエボのボブスレートラックの廃墟 - The Abandoned Sarajevo Bobsled Track in Sarajevo -
2018
18
1984年。
ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアの一部だった。
冬季オリンピックが現在のボスニアの首都・サラエボで開催された。
オリンピック景気に街は活気付いた。
しかしそれから7年。
1991年に勃発したユーゴスラビア紛争に伴いユーゴスラビアは解体。
ボスニアは1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の血塗られた舞台となった。
平和の祭典とは、一体何だったのだろうか。

オリンピックの各施設も無慈悲に破壊されていった。
ボスニアへ入国した私がまず向かったのは、このボブスレートラックの廃墟だった。

この場所はボスニアでもとても有名だ。
休日になると特に訪れる観光客も多いかもしれない。
小さな子供を釣れた家族連れ、若者グループ、カップル、時にはトレッキングの装備をしっかり固めた老夫婦。

当時社会主義国家として初のオリンピック開催で話題になったそうだが、今現在は別な意味で話題になるのかもしれない。

この辺りは美しい緑に囲まれ、トレッキングを楽しめる素晴らしい自然が広がっている。
しかしボスニア各地にはまだまだかなりの数の撤去されていない地雷が残っているというものだから、不用意な森の探索は避けたいところだ。


紛争時はスナイパーたちに使用された。
恐らく当時は、この場所から街が一望出来たのだろう。



ついついゾロ目が気になってしまう。

平和の祭典の舞台も、今となっては負の遺産。
まだ、紛争が終結してから23年しか経っていない。たったの23年だ。
出会った青年が言った。
「あの時僕は4歳だった。でも覚えてる。忘れられない。忘れるわけがない。」
ボブスレートラックの散策を終え、近くのホテルのレストランで昼食を摂った。
ブルーベリージュースとミートボールご飯。
「何処から来たの?」とお姉さんが声を掛けてくる。
今のボスニアは、きっと平和だ。笑顔で溢れている。
でも、多くの人の心に、未だ鮮烈な戦争の光景が刻まれ突き刺さっている現実がそこにある。


スポンサーサイト