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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

オリンピックも夢の跡…サラエボのスキージャンプ場の廃墟 - The Abandoned Ski Jumping Venue from Sarajevo's 1984 Olympics -

2018
22



1984年、サラエボオリンピック。
その跡地の一つ、スキージャンプ場。



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今では廃墟化した観客席が取り囲むように、子供達の遊び場が提供されている。
傾斜の先には、スキージャンプ場。



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苔むし劣化したコンクリートの階段を登り、上へ上へと目指していく。
地味に苦行だ。



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1984年サラエボオリンピックは、1984年2月8日から2月19日までユーゴスラビア…現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで行われた冬季オリンピックだ。
規定の変更により、入賞枠が6位から8位までに拡大された初の冬季オリンピック大会、そして初の共産圏で開催されたオリンピックとなった。



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真下に来ると、これが本当にスキージャンプ場なのだろうか…と感じるものがある。このように切り取るとまるで狭い狭い高速道路のようだ。



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遺棄されたその場所から眺める山景色。分け入っても分け入っても木々が広がるような平和な山景色。
緑の季節だったが、冬は真っ白な銀世界が広がっているのだろうと思うとワクワクする。雪山が好きだ。
下から見上げるより上から見下ろす方が傾斜が如何に急である事を実感出来る。
ここから転げ落ちたりしたら。…これ以上考えるのはやめておこう。
スキージャンプは2月の12日と18日に開催された。金メダルを制したのはフィンランドのマッチ・ニッカネン選手だった。



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スキージャンプ場を撮影していると、遠くからヘリコプターの音が近づいてくるのが聞こえた。
音はどんどん大きくなり、あっという間に私の真上へとやってきた。
「え。」
まさか…逮捕しに来た…?いやそんな事はない、ここは自由に入っても怒られない場所の筈だ。
レストハウスの開店準備をしているおじさんにも挨拶をした。
こんな捕まえたところで何の利益もない一小市民の為にヘリコプターを出動させるわけがない…。
己の自意識は、勿論過剰に終わった。



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UH-1。
アメリカ合衆国のベル・エアクラフト社が開発した汎用ヘリコプターだ。
荷物を降下する訓練をこの場所で行っているらしい。
ロープのようなもので結びつけた荷物を降ろしては上げ、降ろしては上げ。
その場にし暫く止まったかと思いきや旋回し、そして再び荷物を降ろしては上げ。



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貴重な場に遭遇出来たのかもしれない。
ヘリコプターが飛んでいる姿をこんなにも間近で見たのは記憶にある限りきっと初めてだ。



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繁盛期には、レジャーに訪れるたくさんの人々の為に、表彰台に設置した売店で飲み物などを売るのかもしれない。
意外と可愛らしく小さな表彰台だった。



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共産時代の名残を横目に、名残惜しさを覚えつつ次の目的地へと向かった。



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