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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

忘れらかけた第二次世界大戦の記念碑・フォークモニュメント - The Monument to Hanged Patriots -

2018
25


モンテネグロ首都ポドゴリツァ郊外の小さな村に、そのフォークは佇み続ける。



20180618_abandoned_fork_monument_1.jpg



うっかり通り過ぎてしまいそうなこの小さなモニュメント
しかし唯一無二の存在感を放つフォルムを湛えている。



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この近辺の村はかつてイタリア軍の支配下に置かれていた。
しかし1943年、ドイツ軍が取って代わりその地域を支配した。イタリアと比べものにならない程残忍非道の限りを尽くすドイツ軍は地元住人を大量に処刑した。パルチザンに対する報復としても処刑は実行された。



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人々に対し反抗心闘争心をへし折るもので最も効果的だったのは公衆の面前での絞首刑だったという。
1943年12月だけでポドゴリツァで100人を超えるパルチザン処刑された。
この小さな村は1944年12月19日にパルチザンによってようやく解放された。
戦時中、ポドゴリツァ地方では約5000人の民間人と兵士が死亡したと推定される。



20180618_abandoned_fork_monument_3.jpg



そして1970年代初頭、地方自治体の公務員と退役軍人グループは、戦争中そこで処刑されたパルチザンを記念するモニュメントの建造を計画した。
モンテネグロのデザイナー、スヴェトラーナ・カナ・ラデヴィッチがフォークモニュメントをデザインした。彼女はモンテネグロで最初の女性建築家だった。
1970年代半ばにモニュメントは公開されました。幅約8〜9m、高さ約6mのコンクリート。
彫刻の下には、小さな赤い炎の彫刻が置かれている。この炎は永遠を意味している。


宵闇がすぐそこまで迫っていた。
後ろ髪を引かれるのは仕方ない。
この日の宿泊先まで向かおうとすると、何やらまるい小さな生き物が道路に飛び出し…というか、とても遅いスピードではみ出してきた。
ハリネズミだった。
え、こんなに歩くの遅いの…?
ニュージーランドへ留学していた友人が「道路でハリネズミが轢かれまくってる、そこらじゅうハリネズミの轢死体だらけだよ!」と言っていた事を思い出した。
うん、この遅さでよちよちよちよち道路を横断していたら、轢かれて当然だな…。

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