溶け込む不可解な日常、アルバニアに点在するトーチカ(バンカー) - Pillboxes that dot the Albania -
2018
25
アルバニア。
と聞いて、アルメニアと勘違いする人が自分の周りでは何かと多かったりする。
ヨーロッパの東、謎の国。
そこは思った以上に、色々おかしな国だった。
安全だと旅人たちは言うものの、少なくともセルビアの友人は「あんな危ない場所に行くの?」と注意してきたし実際に行って感じ取った空気は…、まぁなんとも言い難いものだった。

アルバニアには、嘗ての国策で大量に作られたトーチカが国全体に大量に残されている。
その数は15万個とも75万個とも言われており、正確な数は記録に残っていない。
首都にも田舎にも辺境にも(アルバニア自体が辺境かもしれないが)何処にでも市民の生活の場にトーチカの存在が食い込んでいるのは何とも奇妙な光景だ。

巨大なものだとそのまま一室として利用し住めるのではないだろうか。
実際、カフェに転用したトーチカもある。

説明が遅れたがトーチカとは元々ロシア語(точка)で、掩体壕(バンカー)の一種だ。
鉄筋コンクリート製で、銃眼となる開口部が設けられた小規模の防御施設防で、非常に堅牢な為解体が困難である。
故に戦争が終わった今もその殆どが撤去されずそのままになっている。

アルバニアは嘗て共産主義国家であった。
独裁者ホッジャはスターリンを崇拝し暫くはソ連に影響を受けた国家運営がなされていたが、1961年の中ソ対立を契機に対ソ連批判を展開。
イスラム教徒の多い国ではあるが中国の文化大革命に影響されて無神国家を宣言し1967年には一切の宗教活動を禁止する。しかしその中国とも後に決裂。
ユーゴスラビア、ソ連、中国とも違う独自の共産主義国家として歩みそして鎖国。
鎖国解除後は経済の自由化が急速に進み結果混乱と経済犯罪の発生を招く事になる。
アルバニアではネズミ講が急速に広まり国民の大多数が財産を失い1997年アルバニア暴動…一時的に内戦状態に陥った。
この頃国中に出回った拳銃は未だに殆どが回収されていないと言われている。

何に置いてもカオスしか感じないアルバニアの歴史。
アルバニアの旅も、毎日がカオスだった。


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