コソボの年末 - Year end of Kosovo -
2018
29
2018年12月末。
私はコソボにいた。
年越しはコソボでしたい。そんな夢を抱いていた。
大した夢でもないしくだらない事かもしれないけど、それでも自分の夢である事には変わりない。

コソボへの入国は、本当に散々だった。
予定していたバスは年末の為か運行しておらず、予定より5時間後に来るバスでコソボへ。
席番が割り当てられていたが余り意味をなさなかった。
満員どころか立ち乗り客、下の荷物入れからは犬の鳴き声がする…。
クゥ〜ン……
悲痛な鳴き声だった。
キャパオーバーのバスのタイヤはパンク。
代車が来るまで1時間半近くかかった。
座れる座席がなかったのでよく分からない隙間のスペースに辛うじて座るが国境で大渋滞。ここでまた1時間半程時間を喰う。
いつになったらコソボに着くのだろう…。
極め付けは、運転手が私をコソボの首都で降ろし忘れて何処だか分からない山奥の街へと連れて行かれてしまった事だ。
この時既に深夜1時半。
3時半になったらバスが出るからそれまでバスで寝てて、と固いけど暖かい毛布を渡された。
バスが出発し首都で降ろされるものの、そこには何もなかった。
真っ暗で。
バス停もない。
店もない。ホテルもない。
…ここは何処?
後から知ったのだが、バス停からちょっと離れた場所に降ろされるのがコソボの首都プリシュティナのお約束だそうだ。真っ暗で何も見えなかったが、バス停はそこから見える場所にはあった。
街の中心地へと向かい歩いている際タクシーを拾えたので彼にホテルまで運んでは貰えたのだがその場所も分かりにくく…。
朝の6時になっていた。

何だか冴えて眠れそうになかったので、8時には荷物を整理しホテルを出た。

寒くはあるが意外と雪はない。

歩いていたらアパートメントに薄毛治療の広告。

コソボの男性も薄毛を気にするようだ。薄いなら薄いでかっこいいのにな。
その日の所用を済ませ再びホテル付近、マザーテレサ通りへ。
…行く前にまたトラブルがあったのだがその話は別の機会に。あれは肝が冷えた。

早朝は閑散としていたその通りは、打って変わった賑わいを見せていた。
イルミネーション、光ってる!

東京のイルミネーションと雑踏は、鬱陶しいばかりで毎年何一つ感動せず忌々しさしか抱いていなかった。
そんな自分が、コソボのイルミネーションを、そこに飛び交う人の笑顔を見て感動している。人間、分からないものだ。

コソボは若い国だ。平均年齢は35歳以下…文献によるが大体28、29、35歳との記載がある。
若い夫婦、子供も多い。
死に往く老人大国日本とは偉い違いだ、と個人的には感じる。
日本でも勿論そんな一同は見るけれど…、世間体を何より大切にする国民性を思うと、その幸せは真であろうかと疑ってしまうものがある。

ひとつの幸せは、幾つもの不幸を礎に成り立っているものだ。
日本でも、そして他国でも。

コソボの土産は近隣の国と比べ安い。キーホルダーやマグネットが1ユーロ。(ただし店による)
アルバニア系の住人が多いのでアルバニア国旗モチーフの土産が多い。

何故かコソボではトルネードポテトが流行っていた。
自分も釣られて食べてみるものの熱々なのは最初だけ。
氷点下の元ではあっという間に冷たくなる。

コソボでも毎日肉を食べていた。バルカンは肉が美味い。
マッシュルームソースがたっぷりかかった販売する。
ハンバーガーを注文したのだが、バンズは別添えでやってきた。
1月1日は辺りで爆竹、花火をあげすぎており街中に立ち込める煙が酷い事になっていた。
アレルギー症状が出て辛い目に遭ったのは誤算だった。
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