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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

十字架の丘 - Hill of Crosses " Kryžių Kalnas " in Lithuania -

2019
04



リトアニアの田舎町。
畑ばかりののどかな景色をただただに突き進んでいくと、そこに十字架の丘はある。



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幾度かインターネット上で見た景色は、自分の目で直で見るとまた違った印象を受ける。
圧。そう、圧を感じる。
元々は、1831年のロシアに対する11月蜂起の後で反乱兵の家族が彼らの遺体のかわりに十字架をこの丘に建てた事が始まりである。
リトアニアもまた、ロシア、ソ連による悲惨な歴史を重ねてきた国だ。


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1918年リトアニアは独立を回復した。
この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちのために祈る場所になった。
十字架の数はどんどん増えていった。100、200、300、1000、…1990年に入る頃には55000本の十字架が建てられていた。


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リトアニアがソ連の統治下にあった時代は、十字架の丘は特別な意味を持っていた。
丘へ行き十字架を捧げることでリトアニア人たちは自身の宗教や遺産への忠誠心を示した事で非暴力による抵抗を表していた。
ソ連は3度にわたりブルドーザーでこの丘にある十字架を撤去しようとしたが、それでも十字架を建てに訪れる人は絶えなかった。


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1993年9月7日には教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪れ、ここが希望と平和、愛、そして犠牲者のための場所であると述べた。2000年にはフランシスコ会の修道院がこの丘の近くに完成した。


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現在ではリトアニアの観光名所となっており、2001年に『リトアニアの十字架の手工芸とその象徴』のひとつとして無形文化遺産の代表一覧表に記載されている。
観光バスでツアーとして訪れる客もいる程の盛況っぷりを見せているようだ。
十字架の丘は何処の自治体の管轄にも属していないので、自由な出入り、そして誰でも十字架を建てる事が出来る。


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日本語で何かが書かれた十字架があった。
「私●●〇〇(本名full name!)がモデルとして活躍しますように(ハート)」
……
願掛け?何かと勘違いしていないかい君は。
それはそれは、読めば読むほど大層残念な内容が記されていた。
とても微妙な気持ちになった。
世界中のカトリック教徒たちの神聖なる巡礼地で、この(以下自主規制
とりあえず、こういった愚かな行為をする日本人がいる事がとても残念に思えた。


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インフォメーションセンターの前で、誰でも気軽に十字架を購入し建てる事が出来るのは、観光収入に貢献出来るので経済を支えるという意味ではいい事かもしれない。
でも、信仰とは何か。
そういった事をきちんと考えられる人が、もっと増えてくれたらいいのにね…とも思う。
この丘の現状に、自分は神聖さではなくカオスの方を強く感じてしまったのは、そういうところもあるからかもしれない。


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今では10万本以上が十字架の丘に建てられている。


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このカオスな十字架の圧は、一生忘れられない光景のひとつとなった。






バルト三国歴史紀行〈3〉リトアニア
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