イングーシ共和国 かつての首都ナズラン - Nazran, Republic of Ingushetia -
2020
10

イングーシ共和国の首都マガスを後に、嘗ての首都ナズランへと向かった。

観光地には複数の大型バスが乗り付けており、観光客らはこの後チェチェンへ向かうという。私も同じくそのコースだった。
主にロシアからの観光客で、一組みだけ中国からの個人旅行客を見かけた。アジア人はこの地で珍しいので、なんだか親近感を覚えた。

ナズランは元々はカフカス地方の典型的山間集落だった。
1817年には要塞が建築され以後多数のイングーシ人が移住した。

1944年から1957年の間、イングーシ人がカザフスタンなど中央アジアやシベリアへ強制移住されるとナズランは北オセチア自治共和国に編入され、コスタ=ヘタグロヴォと改名された。
強制移住の際使用された列車も展示されていた。

寒さや病気、飢え…過酷な環境。車両内で亡くなった者が多数だった。
「スターリンは巨大な悪魔だ」ドライバーのチェチェン人は言った。
北オセチア人にとって、スターリンはどちらかというと英雄的存在だ。
スターリンの出身はオセチアだと言う者も非常に多い。そんな説を聞けるのはオセチアだけだろう。
民族間の感情の温度差を、そんなところからも感じた。

その後チェチェン=イングーシ自治共和国は再建され1967年にはナズランは市となった。
ソビエト連邦の時代、ナズランはチェチェン=イングーシ自治共和国の一部だったが、1991年にイングーシがチェチェン共和国から分離すると、イングーシ共和国内のマルゴベク・カラブラク・ナズランの三市のうち規模の大きいナズランが首都になった。

政治的抑圧の犠牲者の記念碑。

遠目から見ても目を引く美しさを称える石塔。近くで見ると幾つもの石塔が集まって一つの石塔を構築しているように見える。
中は博物館になっているらしいが、残念ながらこの日は開いていなかった。

第二次世界大戦やアフガニスタン戦争に関する展示もある。

イングーシの歴史の悲哀を感じる、重たい場所だった。
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