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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

チェチェン共和国の首都・グロズヌイ3 美しい夜の街並み - Grozny, the capital of the Chechen Republic, Beautiful night cityscape -

2020
26


手料理を頂きゆっくりのんびり過ごしているうちに、夜になった。
グロズヌイは夜景が一番美しい、とドライバーは言った。


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アフマド・カディロフモスク。
その佇まいはイスタンブールのブルーモスクにそっくりだ。
高さ62メートルのミナレットを備えたデザインのこのモスクは、チェチェン共和国初代大統領にちなんで名付けられた。


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ロシア最大のモスクと言われる事も多いが、実際はダゲスタン共和国のマハチカラグランドモスクの方が大きい。
が、巨大である事には変わらずモスクの面積は5000平方メートル、1万人以上の収容力がある。
この日は正月休みと重なり人が多く、非常に混雑していた。


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モスクの見学を早々に切り上げ夜の街を練り歩く。
思った以上に近代的な光景が広がっている事に驚いた。
チェチェンでは石油が取れるからこれからどんどん発展していくと思うよ」
第二のバクーと呼ばれるのはグロズヌイだったろうか…うろ覚えである。
北コーカサス地方で2番目に大きな面積を有する都市、グロズヌイ


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こんな夜景を眺められるとは思っていなかった。


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グロズヌイは1818年、要塞として建設された町でカフカーズ戦争では主要な基地となった。ロシア語で「恐怖を覚えさせる」「厳めしい」といった意味を持つ。
1850年頃油田が発見されたが大規模な開発は1893年、ウラジカフカス鉄道が通じてからとなる。
以後石油産業の大中心地として発展し、1950年代には新しい油田が発見された。採掘された石油はパイプラインでカスピ海沿岸のマハチカラ、黒海沿岸のトゥアプセ、ドンバスなどへ送られている。故にロシアにとって国としての完全なる“独立”は非常に都合が悪いのである…。


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紛争終結宣言以降もテロが続いたチェチェン
しかし今そこにあるのは、紛うことなき平和だろう。
ドライバーは言った「もっと日本の人にも観光に来て欲しいな」彼は“武士道”が好きだと言った。
そして何故か年末ジャンボ宝くじの抽選日を知っていた。


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イスラム教の国だが、女性に対する制限はそこまでキツくないように見える。
仕事を持つ女性もおり、ヒジャブを被らぬ女性もいた。(もしかしたら少数派のキリスト教徒かもしれないが
カフェでケーキとお茶、おしゃべりを楽しむ様子を処どころで伺えた。


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冬の静謐で厳かな空気感もいいが、次は緑溢れる生命力を感じる夏に、是非訪れたい。





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