渡鹿野島へ渡った時のお話し 2 - The Prostitution Island "Watakano Island" in Japan -
2020
02
前回の渡鹿野島レポートの続きである。
さて、市街地からまた外れの方へと歩いていくと、何やら不可解なものが見えてきた。

…?

渡鹿野島に、夢の国…。

おそらく島内に住む方のアート作品だと思うのだが、にしても色々凄い。

もちろん私はこの手のものは大好きだ。

可愛いミ●ーちゃん、島のマスコットにしてもいいかもしれない。

ボーイフレンドも併せてマスコットに…。

夕闇が随分と迫ってきた。

渡鹿野島ではあおさ海苔・真珠・牡蠣の養殖を行なっている。
展望台や遊歩道、綺麗に整備されたウォーターフロントなどもあるが今回行く事は叶わなかった。
渡鹿野島の歴史は意外にも古い。江戸時代には江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えた事もあって
避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどの為の宿、そして風待ちの船乗りを相手にした
把針兼(水上遊女)などが集まり遊廓街としても大いに栄えた。
別名、女護ヶ島。

1957年売春防止法の施行で遊郭は一掃されるが、スナックなどで売春を斡旋する文化が出来性産業は
なくならなかった。
最盛期には60人から70人もの娼婦がいたらしい。人口200人の島に対してこの人数である。
メイン通りはたいそう賑わったであろう。
何かで昔のメイン通りの夜の写真を見たが、今の廃れた島からは想像出来ない賑わいが繰り広げられていた。
私は性産業に関しては必要悪(この言い方が適切かどうかは置いておく。男も女も、人にはそれぞれ事情や理由がある)
だと思っているので、現在の廃れ切った様を見るのは残念な限りである。

日が暮れても釣りを楽しむ御一行を見つめ、船を待つ。

ハートアイランド。
時代の流れは均等な生温さと耳障りのいい言葉を何より望む。
昔は様々なものが様々な意味で過剰だった。(そしてそんな時代は私はきっと余り知らない)
色鮮やかな飛び込むような極楽色の世界だったのだろうかそれは、分からない。
現代も情報やエンタメと言った意味では過剰かもしれない。
色とりどりの様々な世界があるのかもしれない。
でもそれらは全部、情報過多の渦中で混ぜてしまえば全て平等などどめ色。
時の流れは恐ろしいほど早く、そして加速している。
どどめ色である事すら忘れ新たな何かを求め人間の意識は消耗されていく。

そんな鍍金のような感傷も友人との馬鹿話の中海の音と共に消えていく。
船が来た。現実に戻ろう。

「やー面白かったね」
渡鹿野島から、船着場へ帰還。
と、同時に。
何やらメイクとヘアの派手なお姉さんたちの集団とすれ違った。
コートを羽織っているが足下はストッキングにハイヒール。
荷物は持っておらず手ぶら。
こ、これは…。
「…!」
私たちは知らなかったのだ、渡鹿野島は本土から『外注』している事を。
島ですれ違う人間など全くと言っていい程いなかった。しかし大きなホテルの窓の灯りは、
思いの外灯った部屋が多いではないか。
この日は三連休中日。夜はまだまだ長い。

桃源郷は、きっと生きている。
その方が絶対面白い。
娼婦たちから見た日本 黄金町、渡鹿野島、沖縄、秋葉原、タイ、チリ
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