ナゴルノ・カラバフを出国しようとしたら悪天候により2日連続でバスが運休になるもなんとか出国出来た時のお話 - When I tried to leave Nagorno-Karabakh, the bus was suspended for two consecutive days due to bad weather, but the story when I was able to leave -
2020
01
最近、アルメニアとアゼルバイジャンが大変な事になっている。
ここまで大規模な戦闘は2016年以来だ。
私の大好きな地域なだけに日々のニュースから目が離せない。
そして、非常に心配だ。
(こちらの記事を貼り付けておきます:ナゴルノ・カラバフ紛争再燃)
1991年12月25日旧ソ連解体後、アゼルバイジャン国内ではアルメニア系住民が多数派を占める
ナゴルノ・カラバフ自治州を巡る民族紛争が表面化し1992年に戦闘が激化。
アルメニア軍はナゴルノ・カラバフ自治州だけではなくカラバフ・アルメニア間のアゼルバイジャン領土も占領し、
結果アゼルバイジャン国土の約20%が占領される事となった。
アルメニアから飛地であるナゴルノ・カラバフへ入国する際通るのはそのアゼルバイジャン領土だ。
ロシアの仲介により1994年に両国は停戦合意している筈ではあるがその後も散発的な衝突、
カラバフ周辺地域最前線での小規模な銃撃戦などは継続しており死傷者が出ていた。
私がナゴルノ・カラバフへ足を運んだのは2016年の1月、三が日に当たる静かな季節…の筈だった。
大雪に見舞われ大変な目に遭うとは思いもしなかった。
過去の記事(こちらよりどうぞ)ではそういえばカラバフ出国の時の事を書いていなかったので、
今回の衝突をきっかけに改めてしたためようと思う。

ナゴルノ・カラバフを去るその日、朝一番に『我らの山』を見てきた。
男性と女性を象ったカラバフのシンボルであり、火山性の凝灰岩を彫って造られた記念碑である。
実に短い滞在だった。もっと長い旅程を組めば良かった。

周囲はまだやや薄暗かった。

朝から晩迄、晩から朝迄ずっと洗濯物を干しているお宅が多いように見えた。
どうやら旧ソ連圏の冬では、外で洗濯物を干し凍りついた侭乾かし、
バサバサそれを振り払ってフィニッシュするらしい…。
現場を見た事がないので何とも言えない。

いよいよバス停へ向かう。
行きのマルシュルートカで乗り合わせた時から世話になっていた男性ともこれでお別れだ。
マルシュルートカの窓から姿が見えなくなる迄手を振り続けた。
また、いつか。
山道を行きナゴルノ・カラバフの国境でパスポートとビザをチェックされ無事通過後、
アルメニアのゴリスという街のガソリンスタンドで休憩となった。

10分15分程のトイレ休憩後すぐに出発になるだろう、そう思っていた。

しかし、待てども待てどもマルシュルートカが出発する気配がしない。
おかしい。幾ら何でも待ち過ぎじゃないか。

どうやら天候が荒れに荒れており、この先の山越えが不可能な状態になっているらしい。
実は行きのマルシュルートカも凄まじい悪天候の中突き進んで来た。
その時もゴリス迄抜けたら晴れ渡る青空が広がっていた…。
まさか帰りも同じ事になっていようとは。

確かに風は凄まじく強かった。
山の向こうは大雪になっているらしい。
待とう、待つしかない。
1時間、2時間と、時間だけが無意味に過ぎて行った。

同乗していた男性がガソリンスタンドに併設するカフェにて珈琲をご馳走してくれた。
いつ動くか分からない、けど、待つしかない。

気が付けば夕暮れが近づいていた。
一同マルシュルートカに集まり始める。いよいよ再開エレバンに向かうと思いきや。
「この先猛吹雪で山を越えられないからカラバフに戻る」
…冗談でしょ?
私が呆気に取られ過ぎた顔をしていたせいか、車内一同滅茶苦茶爆笑していた。
いや、そこ笑うところじゃないぞ。
何にせよ、戻るしかない。
今思えばゴリスに滞在するという手もあったかもしれないが、あの時の私は
戻る事を選んだのだった。
ナゴルノ・カラバフの国境でのパスポートチェックはなかった。というか人がいなくなっていた。
ビザはこの日迄、翌日分はどうなるのだろう。バレたら不法滞在扱いになるのか…?
と思うと若干怖くなった。
カラバフに戻る頃にはとっぷり日も暮れていた。宿泊していたホテルに戻るか…。
ホテルのスタッフたちは何故か舞い戻った私を見てちょっと驚いていた。
「君、お金払ってなかったよ」「え」
チェックアウトの際、受付にいた女性に「ああ大丈夫よ」と言われたので払い終えていたものだと勘違いしていたようだ…。
前日までの宿泊料とこの日の宿泊料をまとめて支払った。
アルメニア ドラムの手持ちが少なくなっていた。
カラバフの両替所開いてなかったよな…この侭翌日も出られなかったらどうしよう。

相変わらず、シャワーはお湯が出なかった。寒い、寒すぎる。

しかし部屋は前日迄宿泊した部屋よりは暖かかった。
疲れた切った身体を横たえ、翌日再びバス停へと向かった。

バス停は沢山の人で溢れかえっていた。
窓口はなかなか開かない。やっと開いたかと思ったら窓口から出てきた職員の女性が何かを言い、そしてどよめく人々。
アルメニア語なので何を言っているのか分からない。近くにいた人に何て言ってる?と聞くと。
「今日はバスが運休だって」
まずい。これは非常にまずい。
滅茶苦茶な日程を組んでいた自分も悪いのだが、実はこの翌日にはグルジアから飛行機でトルコへ飛ぶ予定だったのだ。
(今思えばグルジアから陸路でトルコに入る事にしていればこんなに焦らなかったのでは…と思うが
まぁ結果論でしかないし何事も経験、と思っておく事にする)
というか、この侭更に数日バスが運休になってしまったら…?
まずい。
呆然としている私を見た、一人のアルメニア人女性が話しかけてくれた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないかも…」
「この後何処に行くの?エレバン?」
「エレバンから更にグルジアに行きたいの。飛行機のチケット取ってて…」
「あー…。バス運休だから、とりあえず家に来ない?ここにいても仕方ないから」
「いいの?!」
彼女は家族でカラバフの親戚宅に遊びに来ていた、エレバン在中の大学生だった。
言葉に甘え彼女の祖母宅へとお邪魔させて頂いた。
旧ソ連時代から建っているであろう古いアパートに、沢山の彼女の親戚が集っていた。
そして初めて見る日本人の自分に、とても驚いていた。

温かい…。
昨日固形物をナッツしか口にしていなかった為、パンやサラミ、林檎やクッキー、チョコレートにチーズ…
身に、心に沁みた。

彼女たちは、カラバフ脱出方法を一緒に模索してくれた。
他にバスはないか、他にルートはないか。様々な場所に電話をかけては待ち、電話をかけては待ち、
待ち時間で彼女のポートフォリオを見せて貰ったり、将来の夢を教えてくれたり、
自分の仕事について話したり。様々な話しをした。
結果、カラバフ-エレバン間で個人でマルシュルートカを運営している男性が見つかり、
彼の車で出国する事になった。
「あと1時間で来るって!」
ギリギリのタイミングだったかもしれない。
出国前に、お腹空くだろうからご飯食べていって!とおばあちゃんが手料理を出してくれた。

牛肉と野菜の煮込み。美味い!

豪快なピクルス。美味い!

淡水魚の焼き魚。美味い!
バタバタ食事をしているうちにマルシュルートカが来た。
「もう来たって!急いで!」
滞在時間は3時間程だっただろうか。
皆んなに挨拶と礼を言い、彼女と彼女の叔母(この二人が英語が出来た)にマルシュルートカ迄見送って貰った。
最後に抱きしめ合った時、涙が出そうになった。
正直自分はそれまでの人生で、人間に対しいい感情など殆ど抱いた事もなかったし、人間不信で人間嫌いで
そこそこどうしようもない人生を歩み続けていた(今もそこそこどうしようもない人間だと思うけど。
この辺りは語っても下らないし長いしゴミのようなので全て省く)。
ナゴルノ・カラバフでの様々な出来事が、そう言った感情を一気に流転させた気がした。

マルシュルートカ(というかドライバー個人の大型の車)はどんどんカラバフの首都ステパナケルトを離れていく。
あっという間に山道へ入り、国境へと差し掛かった。
ビザ切れてるけど大丈夫かな…。
不安をよそに、国境には誰もいなかった。
建物の中にも軍人も警察官も誰もいない。なので完全に素通りだった。
ゴリスのその先の山道も天候が荒れる事なく難無く進んでいった。

でも、もしこの先で天気が崩れたら。車がパンクしたら。何かあったら。

「ここまで来ればあとは大丈夫だよ」
何度目かの休憩の時、乗り合わせていたおじさんが言った。
「まだ山だけどもう天気悪くなる事もないよ。タバコ吸う?」
緊張が一気に解れた。

通常、ナゴルノ・カラバフからアルメニアの首都エレバンまではマルシュルートカで約6〜7時間程だが、
やはり雪道の為時間はかかり、9時間かかった。
それでも着いた。無事エレバンに着いたのだ。
この後は、カラバフで手配しておいた国際タクシーに乗り換えグルジアへ向かう。
100ドルで真夜中直通一本道。順調に行けば7時間程で到着出来るだろう。
バスに乗り合わせていた自称カラバフの医者と名乗る男性が、タクシー到着まで面倒を見てくれると言う。
その後ちょっととんでもない展開になっていって非常に焦る事になるのだが…
その話しはそう遠くないうちに発売する書籍に掲載する事となったので、是非読んで頂けると嬉しい。
ナゴルノ・カラバフでの出来事は、それからの自分の人生に大きく影響を与えた出来事のひとつだ。
シューシで見たダイアモンドダストの美しさに心も魂も抜かれ、出会った人々の優しさに凍りついた心を溶かされ、
それ迄被写体を廃墟しか見ていなかった自分の目線を変えてくれるものになった。
一生忘れられない。そして未だに1日に1回は必ず思い出している。
だからこそ余計に、これからの動向に目が離せない。
極東亜細亜の端にいる自分に何が出来る訳でもない。
ただ、個人的な事を伝える事だけは出来る。謂わば種まきのような…。
アゼルバイジャンへも足を運び、人々の良い部分を沢山見ているのでどちらが悪いというのは言えないし、
言いたくもないのだが、一刻も早い一般市民の平和をひたすらに望む。
(政治的側面の平和的解決策は、正直自分には見えない)
幽幻廃墟
因みに当方の上記書籍でのカラバフの写真を取り扱っている。
興味ある方は是非!
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