関東大震災の復興建築 神保町の旧相互無尽会社ビルと終戦記念日のあの日 - A Reconstruction Architecture of the Great Kanto Earthquake & End of the War Anniversary in Jinbocho & Kudanshita -
2020
28
2020年8月15日、今年の終戦記念日も一応靖国近辺を徘徊していた。
神社内はソーシャルディスタンス仕様になっていたが基本人は多かった。
当初の予定なら今頃旧ソ連の何処かへ…オリンピック下の東京などいたくもなかったが
まさかこのような事になろうとは。

私の靖国訪問は毎度毎度神保町から始まる。
学生時代4年間アルバイトをしたこの地は私の東京感を培っていった場所である。
通学途中にあるからと選択した事は間違いではなかった。私は本の虫へとすくすく育っていった。
そして今も、定期的に神保町成分を吸収しないと落ち着かないのだ。

そしてこの日は兼ねてより気になっていた呉記へ。
香港風カレーつみれ『咖哩魚丸』とカステラ『鶏蛋仔』の専門店である。

注文を終え椅子に腰掛け、護送車を眺めながら待つ。
この日も暑い暑い、夏日だった。

咖哩魚丸と檸檬紅茶。染み渡る…。

フィッシュボールは、うん、練り物だ。ぷりんぷりんで美味しい。
カレーソースが余るからこれにパンも欲しいな…と思ったのは我が侭かもしれない。

軽食を終えてからは護送車などを鑑賞しながら靖国神社へ。


まぁ、例年とそう変わりなかった。
皆マスクをしている以外は。



この日、目的は他にもあった。

旧相互無尽会社ビル。

スクラッチタイルで覆われアーチ形の窓が特徴的な渋みのある建築物。
神保町界隈の味わい深いビルの解体が続く。
何だか九段下ビルの事も思い出してしまった、旧相互無尽会社と同時代に竣工されたんだよな確か…。

昭和初期から九十年にわたり本の街を見守ってきた関東大震災後の復興建築の一つであるこのビル。
9/7から解体が始まり、年末にかけて工事を行なう予定らしい。


寂しい。

今年だけで、神保町の老舗がいくつ消えただろう。
もしかしたら思ったより少ないかもしれないが、足を運んだお店ばかりなのでぽっかりと
心の何処かに穴が空いたような気持ちになった。



神保町に現存する味わい深い近代建築も、いつまで残る事が出来るのか。
馴染み深い景色が変わりゆく事は仕方のない事とは言えやはり寂しい。
残って欲しい、言うだけなら簡単だ。望むだけならタダだ。私はただの一傍観者に過ぎない。



神田・神保町・御茶ノ水本 (エイムック 4048)
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