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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

3.11から10年… 2013年被災地を初めて取材した時の話し1 - The story when the disaster area was photographed for the first time in Fukushima 2013 -

2021
13


悪魔でも、ここに書き散らす事は極々至極個人的な事柄だ。
きちんとアウトプットした物は八画文化会館から出して頂いた『チェルノブイリ/福島
〜福島の廃墟写真家が鎮魂の旅に出た〜八画文化会館質書vol.06
』を見て頂きたい。
…売り切れてしまったんですけどね…何処で手に入るかな今。



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2011年3月11日。
通常のいつも通りの3月11日なら、それは私の父の誕生日でしかなかった。
あの日から、自分の周りでも余りにも様々な事がひっくり返ってしまった。
その一つとして、小さな事だと被写体である廃墟に対する捉え方の変化というものがあった。
チェルノブイリのようになってしまうかもしれない我が故郷福島、もしも福島が廃墟化してしまった時、
今日日流行りの些末な退廃美などという紅茶の茶葉より軽い感性を持っていてもいいのか、
人の在り方、生き方が置き去りにされた侭表面だけを取り繕ったかのようなそのような感性に晒され私は耐えられるのか。
いや、他者の感性などどうでもいい、まずは己のこの蟠りを払拭させるにはチェルノブイリに実際足を運ぶしかないのではないだろうか。
(この辺りは詳しく書くと長くなるので割愛します…)
2013年10月の暮れ私は実際にチェルノブイリへ赴いた。
そして同年12月の暮れ、私は“フクシマ”にいた。


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私の出身地は福島市だ。
何の変哲もない片田舎の県庁所在地。良い思い出は殆どない。
青春時代は糞食らえでしかなかった。高校時代の記憶がほぼ皆無、干し柿を作った事位しかない。
死ぬ気で出て行ってやると思っていた。
あの街で生きたくなかった、あの街で死にたくなかった。
あの頃はただただに退屈だった。でも。
というような与太話はさて置き。

この写真は大熊町の6号線沿い、原子力発電所のある街だ。
大熊町から私の実家までは60km離れている。
外国人の友人に話すと「60kmしか離れていないのか!?」と驚かれる時もある。
ああ、そうか、これは驚かれる程異常な事でもあるんだなという実感をその時初めて得た気がした。
私は当時某雑誌編集記者をしていたK氏とT氏と共に福島入りした。
彼らとしても兼ねてから気になっていた、取材をしてみたかったそうだ。
午前様を過ぎてからの進軍開始、人気のない高速道路を飛ばし関東圏から東北に入ると「いよいよか」
当時、6号線は一部通行止めとなっており通行許可証がないと通過出来なかった。
警備体制は夜間でも物々しく、思ったよりも警察官が配備されている事に緊張を覚えた。
「うわ、思ったより多いね」普段何かと(仕事柄)警察官とヤリ合う事の多いK氏の顔が引き攣っていた。
バリケード、警察官、煌々と灯るライト、赤いランプが回るパトカー。
事前に申請し入手していた通行許可証を見せるとすんなり、封鎖された6号線の先へ。
「うおおおお…入れた…当たり前だけど入れた…」
あの頃から封鎖された侭の6号線。立ち入り禁止の向こう側へ、いざ。
同じく通過する車は原発関連の作業車両やトラックが多かった。
当たり前だが、6号線沿いは廃墟化した侭手付かずとなった建物が多かった。
今でも多いが当時はもっと手付かず感があったというか、
絶望がその侭置き去りにされたという言葉がぴったりとハマる情景をしていたような気がする。
「ぶっちゃけさ、そういった視点での撮影じゃないとは言え廃墟写真家としては
今日本で一番デカイ廃墟であろう場所に来て興奮覚えるっしょ」
K氏が言った。
「言い方はアレだけどまぁぶっちゃっけ…」
私の素直な感想だった。
そのまま一旦夜の6号線を北上し北側のゲートを通過、ゲートから一番近いコンビニに車を留めた。
出発した時から唐揚げだのポテトだのスナック菓子だのずっと何かを食べているT氏はここでもまたカロリーの補充を行っていた。
T氏はとても太っている。一度に食べる食事の量はそう多くないのだが、食事回数が兎に角多い。
撮影取材は夜が明けたらという事で2,3時間の仮眠後、再び6号線を戻りゲートを越える。


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本来ならば田んぼであろう用地は放棄され草に覆われていた。


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地割れしたアスファルトもその侭だった。


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大熊町に初めて来た。
同じ福島県とは言え福島市の人間はなかなか訪れない場所かもしれない。
福島県は縦三つに分けられている。
太平洋側の浜通り、内陸側の中通り、日本海側の会津(日本海には面していないが)。
それぞれ気候も文化も違う、山を越える為横移動を福島人はあまりしない印象がある。
私の家族や親族などを見てきた印象でしかないが。


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原子力発電所が出来た時、それは希望と経済発展の象徴として非常にポジティブなものとして捉えられたいたらしい。
原子力〇〇、アトム〇〇など、原発関連の名を取った企業や店舗がこの辺りは非常に多かった。


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6号線を逸れて街々に入っていっても所々にゲートが設置されていた。


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空間線量は高い、6マイクロシーベルトを超えていた。
高線量の影響は自分たちの身体にすぐに現れた。
「…気のせいかもしれないけど、ここにきてから、ずっと身体がだるい気がする」と言うと。
「…実は俺もずっと身体がだるいんだ。
長時間運転してあんまり寝てないからだって思うようにしてたけど。
でも、気のせいだということにしておく」
「もしかしたら、単に疲れているだけかもしれないしね…」
全員が、全身の倦怠感を感じていた。
取材をしていた3日間、ずっと。


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大熊町はキウイの名産地だったという事も、この日初めて知った。
私は余りにも何も知らなかった。


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今直ぐにでも仕事に使えそうな車両や機材がそのままになっていた。
空気の抜けたタイヤが過ぎ去った時の流れを現していた。


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「ここ…津波が来た痕跡はないように見えるけど、荒れ方が酷いね…」
そのような家屋は多かった。
理由は、猪や猪豚が窓ガラスを突き割り家中荒らし回るからだ。
二日後取材した男性から色々と話しを聞いた。


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ゲートを隔てた世界の向こう側。
作業員を運んでいるのであろう。


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「星野君は太陽の下でもすでに悪の道を歩いているな」
「うるさいよ」
軽口でも叩いていないと、やっていられなかった。


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アスファルトを突き破る自然の逞しさは、今までも廃墟などで散々見てきている光景ではあったが、
ここまで胸に来る場所は他に知らないかもしれない。
私的感情の有無は大きい。
海外の都市探索家や廃墟愛好家から見る“FUKUSHIMA”はURBEXの対象でしかない場合が多い気がする。
見れば勿論多少なり感傷的な気持ちが1mmくらい芽生える人間もいるが。
別にそれを否定はしない。肯定もしないが。
きっとチェルノブイリへ行った私も、当事者たちからしたら似たような者だろうから。
思う事、感じる事はあっても、当事者目線になりきる事は私にも出来ない。
現実を見据える覚悟で挑んでも心の何処かで未曾有の被写体に対面する興奮を覚えるのも悲しい人間の性だ。
払拭した感情と取り残された侭の感情、昇華しきった何かと燻り続ける何か、
相反する矛盾を抱えた侭今日に到る。


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「よい子CLUBが気になりますね…」
T氏はラブホテルの看板を見つけてからずっと気になっているようだった。
「この手の田舎のラブホって地元のおばちゃんが受付やってたりして、
入ると誰々君のお母さんじゃねーか!って事がよくあるらしいな」
「とりあえず行ってみる?」


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片田舎のラブホテルは私もよく利用する、と行っても遠征先に宿泊施設がない場合ラブホが都合よく
存在していた為利用する、というだけだが。


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原子力発電所からほど近いこのラブホテル周辺も、エグい空間線量を叩き出していた。
「目に見えない恐怖が可視化している感じだな」


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自生したキウイが蔓を伸ばし、ラブホテルの敷地を侵食していた。


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極々普通の、ありふれたラブホテル。


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鳥が啄んだ形跡のあるキウイがあった。
「美味しいのかな?」
「え、まさか喰うの?」
「うん」
「え、ちょ、流石にやばくない」
「まぁなんとかなるよ」
むしゃり、と齧ってみた。


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「甘い!普通に美味しいよこれ!」
「ごめん、流石の俺でも引くわ…」
「え、マジで喰ったんすか…」
K氏とT氏の顔が引き攣っていた。
全部食べるのはやめておいた。
でも、禁断の果実はとても甘くてとても美味しかった。


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中身も一般的な極々普通のラブホテルといった装いであった。


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事務所内はやはり金品を盗みに来た者の痕跡はあったが…。


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後から室内に入ったのか、それとも残された侭死んだのか…。


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2011年3月11日で止まった侭のカレンダー。


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ラブホテルを離れ、神社の境内前へ来た所でK氏が言った。
「空間線量も凄いけど、これ地面に近づけたらもっと凄い数値叩き出すよね」
「やってみるか…」
線量計を地面に近づける。
10,20,30,40,50……あっという間に60を超えた。
「これ、普通に100超えるね」
「もういい、怖いからそれ以上はいい」


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この時の空間線量は18マイクロシーベルト。


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神社の屋根の位置が明らかに低い。ペシャンと潰れてしまっていた。


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草木に覆われ、枯れ葉が積もる階段を上り、神社を見る。
枯れ葉が積もるような場所や森の中。こうした場所は総じて線量が高い。


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「ここまで来たなら、行くしかないか」


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チェルノブイリや福島へ行く時、母親には言えなかった。
というか、旧共産圏へ行き始めた事も暫く黙っていた。
地元福島でチェルノブイリの写真展をやると言った時、初めて彼女に話した。
そしてやはり反発された。驚かれた、心底呆れられた。
母親と私は真逆というか驚く程違い切った生き物だ。だから理解する事もされる事も不可能だった。
だがあの時、多分彼女はある意味全てを諦めたのだと思う。
言い方を変えればそれが“理解する”という事だったのかもしれない。
申し訳なさがないと言えば嘘になるかもしれない、でも、それでも変えられない、止められない。


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この時出会った警察官のひとりは、地元の友人の友人のようであった。
思った以上に年若い警察官たちが配備されていた。
2、3日の取材で立ち去る私たちとは違う。
なのに、防護服すら着用していなかった。
彼らの将来が心配になった。


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続く。





原子力戦争の犬たち
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