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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

クロアチアからモンテネグロ、そしてボスニアへ国境越えした時の思い出の断片 - Fragments of memories of Croatia, Montenegro & Bosnia -

2021
31


その日、私はクロアチアから陸路でモンテネグロ入りを果たしていた。
クロアチアは縦長の国だ。故に南北の移動となると走行距離がなかなか辛い事になる。
クロアチアからモンテネグロの国境へ辿り着き、さぁいざパスポートチェックだ…と思ったら。
「クロアチア側でガソリン代払い忘れているみたいだよ」
…?!
どうやらガソリンスタンドの店員が、支払いの際一緒に買ったサンドイッチと飲み物だけの会計にしてしまい、
肝心のガソリン代を含めていなかったようだ…。
きちんと確認しなかった自分も悪いが、国境からわざわざガソリンスタンドへ戻る事となってしまった。
幸い遠くはない、30〜60分以内の距離だ。
店員は笑いながら謝った。私も笑った。未払いの情報もきちんと国境に通達されるものなのだな…。

モンテネグロ入国後、幾つかの撮影をこなしその日宿泊するホテルへと向かった。
見た目はただの一軒家だった。二階部分がホテル、一階を居住区としているようだった。


20210130_Montenegro-1.jpg


近くにレストランはなく、あるのは小さな小さなマーケットのみ。
りんごと水だけを買い、これと言って食欲もなかったのであとは手持ちのスナックとパンで
夕食を済ませた。そしてすぐ眠りについた。


20210130_Montenegro-2.jpg


トイレとシャワーも綺麗。宿泊代も安く部屋も広々、地方のホテルは良い。
洗練されている訳でもなく何処となく小綺麗な人の家感があるのも好ましい。


20210130_Montenegro-3.jpg


翌朝、次なる目的地へ。
革命の家と呼ばれたこの建造物が廃墟の状態からリノベーションされる事は分かっていた。
しかし自分の目でどうしても見てみたかった。
工事作業員が既に中におり廃墟としての終わりは迎えていたが(妙な言い方ではある)
それでも良き建造物だった。
他の撮影箇所に関しては後日記事にするかもしれない…それか是非旧共産遺産を。


20210130_Montenegro-5.jpg


モンテネグロを北上し、そのままボスニアを目指した。
国から国へ、陸路で国境を越える楽しさを覚えてしまったらもう止まらない。
島国というおそらく多くの国からしたらマイノリティである国で生まれ育った自分にとって
それはただただに冒険心を擽られる。
しかしそれにしても随分酷い山道を延々うねうね進むのだな…
モンテネグロは、黒い山という意味の言葉だ。
感慨深い。
などと思っていると国境に到着した。随分小さな検問だ。
国境には二人の若い軍人だけがいた。
「ここはローカルな国境で、インターナショナルじゃないんだ」
「え!」
「外国人はインターナショナルの国境に行って」
…なるほど、そういう事もあるのか。



20210130_Montenegro-4.jpg


でもお陰で、ノーマークの不思議なモニュメントを見る事が出来た。
2時間近く時間を無駄にはしたが、そんな時もきっとある。
無事インターナショナルな国境からボスニアへ入国した私は、次なる目的地を目指した。
その途中の景色の美しい事…
地元福島県に存在する五色沼を彷彿させるかのような翆色が美しい川、湖。
木々の緑、雄大な渓谷、山間、岩山、走っていて全く飽きなかった。
停車する場所もなかなかなかったのでそのまま走り抜けてしまったのが悔やまれる。
真の美しさは目に焼き付ける事しか出来ない。記憶の中の色鮮やかさに勝るものはない。


20210130_Montenegro-6.jpg


ボスニアの山間部に立つスティエスカの戦い記念碑を撮影し、ボスニアを北上していく。
(スティエスカの戦い記念碑はそう遠くないうちに記事にしよう…)
ボスニアはボシュニャク人とクロアチア人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、
セルビア人中心のスルプスカ共和国の二つの構成体からなる連邦国家だ。
スルプスカ共和国に入域すると、ロシアの国旗を縦にしたのかなという感じの旗が掲げられているので
すぐに分かる。
ずっと旗が続くなこんな田舎道なのにと思っていると突然旗がなくなり
「あ、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に入ったのか」と気が付く。
ボスニアやクロアチアの街並みのオレンジ色の屋根が続く景色が好きだ。


20210130_Montenegro-7.jpg


この道を走る事も人生で一度きりなのだろうな…
そう思うと離れがたい、胸が締め付けられる程切なく苦しい。
沢山のさようならを残して、旅は続く。






旧共産遺産



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