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SATIAN/39 -頽廃放浪記-

廃墟/旧共産圏/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル頽廃放浪記。

見本市会場から強制収容所へ…スタロ・サイミシュテ - From The Fairgrounds to Complex Sajmište concentration camp ..." Staro Sajmište " in Beograd -

2021
05


ベオグラードの街中には、第二次世界大戦中のバンカーが密やかに残っていたりする。
生活風景に溶け込んだ何気ない景色の一角に、意識して着目しないと気がつかないような草むらの奥に。
ひっそり、こっそりと。
そんなバンカーを覗いた後、バスを乗り降りぽてぽてのんびり歩いてやってきたのがここだった。


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ここ…ベオグラードの中心部だよね…?
中心部とは言ってもロマが野宿していたりなんか煤けた道路歩いてるなと思いながら歩いては来たのだが…
まさかこんな廃墟があるとは。


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妙な静けさの漂う場所だ。
所謂セルビア人というか南スラブ系の顔立ちの人の姿はそこになく、ロマの男性たちが建物内から何かを運び出し、
ロマの子供たちは楽しそうに建物の周りを駆け回っていた。
この建物の中撮っていい?と男性たちに聞くといいよと許可を頂けた。
セルビア国内というか、東欧各国でのロマ(ジプシー)への差別は根深い問題である。
(調べてはいないがきっと西欧でも)


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建物内は総じて荒らされており実に汚い。
訪れた当時2018年。数年前はもっと綺麗だった、荒らされていなかったと聞いた。
ロマの住処となってからこうなってしまったようだ。
1階を居住区にしているようで干した洗濯物などがあったが…本当に住める状態なのだろうか。


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2階、3階の状態は本当に酷かった。室内に脱糞の痕跡すらあった。己らの居住区内のトイレ以外で脱糞とは…。
流れはしないが便器が残っているのに…。


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余りの汚さに探索していてうんざりしてくるこの建築物は一体何だったのか。


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1930年代初頭、サヴァ川の左岸にある『ユーゴスラビア』の首都ベオグラードのすぐ近くには大きな湿地帯しかなかった。
ユーゴスラビア王国の経済的及び技術的進歩の象徴として、そこにベオグラード見本市会場(国際展示場)を建設する事が1936年に決定した。
そして1937年この廃墟…当時の中央タワー周辺の広いエリアに5つのユーゴスラビアパビリオンが建設された。
フランス、オランダ、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキア、トルコ。
1940年にはソビエトパビリオンの建設を開始した。
ベオグラードの市民は文化イベントや魅力的な展示を楽しむ事が出来た。


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しかし、時代は第二次世界大戦に突入していく。
1941年の4月戦争でドイツとその同盟国がユーゴスラビア王国を占領して分割した後、
サヴァ川の左岸を含むスレム地方全体がクロアチア独立国の一部となった。
そしてナチスの秘密警察・ゲシュタポがサイミシュテを占領した。
有刺鉄線でぐるりと囲み「コレクション・センター」(刑務所の婉曲表現)と呼んでいた。
刑務所は強制収容所となった。1942年5月迄ドイツ軍はサイミシュテ強制収容所でベオグラードやセルビア
他の地域のユダヤ人を主に殺害していった。
1942年4月以降セルビア人の囚人は、クロアチアのウスタシャの協力者が運営する他の強制収容所から運ばれてきた。
また、セルビア全土で捕らえられたパルチザンもサイミシュテに送られた。ユーゴスラビアの他の地域からも収容者が送られてきた。
捕らえられた囚人の処刑は収容所が存在する限り続いた。
ベオグラードへの大規模な爆撃の際、連合軍の航空機は1944年4月17日にサイミシュテを爆撃し約100人の収容者が死亡。
収容所自体にも大きな被害を与えスパシッチパビリオンと中央タワーを除く全ての建物が破壊された。
セルビアのユダヤ人の半数がこの収容所で死亡したと推定されている。


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1945年戦後この地域は何年も完全に放置され荒れるが侭となっていた。
1987年7月9日、ベオグラード市議会はスタロ・サイミシュテを文化遺産に指定し不動産開発から保護することを決定した。
1995年4月21日、ヒトラーが1945年4月22日に敗北を認めてから50年という節目の日に
サヴァ川沿いにスタロ・サイミシュテの犠牲者を追悼するモニュメントが発表された。
しかしこの地域を保護する為に何をしたかと言うと、殆ど何もしなかったという。
芸術家たちのアトリエになっていた時期もあったらしいが、自分たちで建物を改修する資金がなかった為
結局浮浪者などが集まる場所となってしまったらしい。
アトリエ兼ナチスに関するアートの展示場となっていた事もあるらしいが、詳細はよく分からない。


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スタロ・サイミシュテ内で唯一の見所となってしまったのが、ナチスのこのレリーフだろうか。


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今も残っているのだろうか。


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アート作品も置いてあったが全て破壊されてしまった。


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子供達が書いたと思われる絵も残っていた。


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建物内は兎に角悪臭が立ち込めていた。
なので屋上に出た時ほっとした。


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しっかりした見た目もかっこいい歴史的建築物である筈なのに…勿体ない。


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探索を終え外に出ると、ロマの男性たちは何処かに出かけたらしくいなくなっていた。
なんだか妙にエネルギーを消耗する場所だった。


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ベオグラードの中心部を観光でプラプラ散歩していると観光客向けに整ったエリア再開発が進むエリアと
綺麗な場所ばかりだったので、そのギャップも大きかったのかもしれない。
スタロ・サイミシュテが真の文化遺産となる日は遥か遠くにあるだろう。





終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ (集英社新書)


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