エストニアの戦争遺構 - Estonian Bunker, Trace of World War II -
2022
08
この日私は、エストニアからラトビアへ向かっていた。
翌日はそのままリトアニアまで抜ける。
控えめに言って移動距離はそこそこキツい。
しかしそれでも見たい物がある。戦争遺構だ。

パッと見ては…ただの雑木林にしか見えない。

散策すると、掩体壕がそこにある。

巨大な恐竜や鯨の体内、肋骨に囲まれたかのような感覚を覚えなくもない。

エストニアにもこのような戦争遺構が数多く残っている。

一見ただの盛り土か小高い丘とまでは行かない何か、グーグルアースで見てもただの森にしか見えないそこ。

近づくと、大祖国戦争の入り口へ。

エストニアはバルト三国の一つで最も北に位置する人口わずか130万程度の小さな国だ。
国土面積は九州より少し大きい程度だが、高度電子化国家として名高く、スカイプが創始された国でもある。
1917年、ロシア革命を成功させたレーニンにより平和についての布告が発表された。
それによりバルト三国の独立が実現し、ラトビア及びリトアニアは1918年、エストニアは1920年に独立を達成した。
しかし1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立、第二次世界大戦が始まるとナチスとの間での独ソ不可侵条約に
付帯する秘密議定書に基づき、1940年にソ連に併合され社会主義共和国となった。
1991年にソ連からの独立を果たす。
バルト三国のソ連に対する感情は…色々と複雑というか否定的なものが多いので、
ソ連に関する遺構を巡っている事に対し冷ややかな目で見られる事も少なくはなかった。
現地で口にするのは「世界史に興味がある」位に止めておいた方がいいかもしれない。(ちょっと色々あった)
物語バルト三国の歴史
スポンサーサイト