エストニアの戦争遺構 2 - Estonian Bunker, Trace of World War II -
2022
17
前回に続き、エストニアの戦争遺構。

長い歴史の中エストニアは最初に統治したデンマークから始まりドイツ、ロシア、スウェーデン、ポーランドなど
大国の間で度々戦争に巻き込まれ複雑な歴史背景を持っている。
私が巡った戦争遺構は、大祖国戦争(第二次世界大戦)関連の場所だ。

こうした遺構はバルト海に面したロシア側の辺りには特に多いかもしれないが、アクセスはそこそこ面倒だ。

ナチスの鉤十字とソ連の鎌と槌の落書き。

稚拙な落書きではあるが、印象深い。

ちなみにエストニアの首都タリンへは、まだ足を踏み入れていない…実に失礼な話しである。
いつか必ず。

時間もないので次の遺構へと急ぎ足で。


グループによる戦争遺構巡りツアーもあるらしいので、そうしたものに参加すると行きやすいかもしれない。

場所によっては、深い森に囲まれた長い長い一本道の途中、車を路肩に停めそこから森へとガサガサ入り
散策するような場所もあったので、単身の探索は少々心細いものがあった。

その分遭遇した時の喜びは大きい。



ちなみにエストニアのネイチャー・ツアーの中でもクマの観察ツアーは特に人気だそうだ。
そう、エストニアはヒグマの生息地でもある。
…
怖い。
熊鈴も忘れないようにしよう。(一応持っていってはいる)
ロシアの極東では、車から降りて2メートル以内の場所に真新しい熊の足跡があり、そのまま車に戻り
戦争遺構の探索を諦めた事もあった。
いのちだいじに。
エストニアを知るための59章
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