SATIAN/39 -廃墟の影片-

廃墟/旧ソ連/未承認国家/国内外の”世界の果て”へ。ヒトノココロノスキマをキリトル写真ブログ。

佐世保の旅

2008
29
軍艦島ついでに、佐世保も行った去年の旅行。
白黒アグファでシャッターぱっしゃん。です。


sase1.jpg



かっこよく見えます白黒ハウステンボス。
初めて行ったのですがその町並みの精巧さに吃驚!オランダから実際に持ってきた石やら何やらをきちんと使用しオランダの町並みを再現したそうです。お金掛かっているだけあります。


sase2.jpg



sase6.jpg


sase9.jpg


sase10.jpg


sase11.jpg


sase14.jpg


バラのお庭、美しかったです。
季節がもっと暖かい頃だったらもっと綺麗だったろうに。
11月の暮れだったので、本来チューリップで埋め尽くされているはずのお庭がガランと空いており相当殺風景でした。
物悲しくなった……
所々修理中だったりしてなかなかの殺伐っぷり。
春に行くべきだった!!!1

sase15.jpg


まぁこれはこれで味があるからよし。


sase16.jpg



sase18.jpg



sase19.jpg



sase20.jpg



sase22.jpg



sase23.jpg



sase24.jpg



sase25.jpg



白鳥さんがおりました。
白鳥さん、見た目はきれいなのに足は結構グロいんですよね。


sase27.jpg



sase28.jpg



このお船でどうやら長崎空港までゆけるみたいです。
逝けばよかったー。


佐世保へ行った本来の目的は、これ。

sase31.jpg


針尾送信所 無線塔。

歴史…
太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二○八」(ニイタカヤマとは台湾の新高山に由来と思われる)を送信した電波塔として広報されることが多いが、これは瀬戸内海に停泊中の連合艦隊旗艦「長門」が打電し、広島県の呉通信隊が送信したものを受信し再発信したもので、中国大陸や南太平洋の部隊に伝えたものである。ただ、これにも異説があり、送信の事実そのものがないとする主張もある([1])。真珠湾攻撃の部隊に向けて送信したものは千葉県船橋市の船橋送信所からのものである。
終戦後しばらく米軍管理地となり、1948年(昭和23年)から第七管区海上保安本部佐世保海上保安部が所管し、海上自衛隊と共同で使用している。ただし、針尾送信所の象徴であった巨大電波塔は、1997年に後継の無線施設が完成したことにより、現在では電波塔としての役割を終えている。


……
ネットで見つけ、見ほれてしまいこれは見にゆこうと。
ハウステンボスを観光し終えてタクシーでこの場所まで向かいました。
結構近いかな?とか思っていたら。
結構遠かった…
徒歩で逝こうとしなくて良かった……

sase32.jpg


存在感がすごかったです。威圧感と云うか、ドーン、って感じで。
もっと近づいたのですが、まぁ写真はこの角度からしか。。もっと撮ればよかった。
心に思い出は残ったから、いいかな。


ついでに、見晴らしの良い所へ連れて行ってもらいました。

sase3.jpg



sase17.jpg



sase21.jpg



sase26.jpg



長崎の人々は、とっても、親切です。
こんなに、暖かい心に触れたのは、初めてです。
初対面の、赤の他人なのに。こんなに暖かく接してくれるなんて。
「長崎の人たちは皆優しいよ。おせっかいな位にね」って地元の人がほっこり笑いながら言っていたけど本当にそう。
タクシーの運転手さんも、東京から折角来たんだからーと色々教えてくださいました。
長崎の人たちの優しさを振り返ると、ちょっぴり涙がこぼれそうです。
もう一度、何度でも、行きたいな。
水も自然も綺麗な場所。素敵。




sase5.jpg



話しが前後しますが朝ご飯はホテル近くのお店でおかゆの定食を食べました。
美味しかった…あっさり、だけどおなかにしっかり。
長崎、食べ物も兎に角美味しかった。
その辺りはまた次に…
スポンサーサイト

 佐世保 廃墟 国内旅行 フィルム 銀塩 モノクロ

0 Comments

Add your comment